頓痴気号漂流記

一人で工廠を名乗る不届き者。

狂気の弁明 アイマス学会FES特別編 温泉卿回

今回もアイマス学会FES特別編、第二弾はFES発表者かつ本企画の企画者でもある温泉卿さんに話を伺ってきました。
※大変遅くなってしまい申し訳ありません。この記事は2021年5月28日の録音を基に作成しています。ご了承ください。
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FES本編:

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ー(Lotus)狂気の弁明アイマス学会FES特別回ということで、主催がそれぞれお互いの発表について質問をしていくという企画ですが、温泉さんの回を始めていこうと思います。

はい、よろしくお願いします。

ーまず、アイマス学会FESでの温泉さんの発表についてどんな内容だったか教えて下さい。

そうですね、全体的なテーマとしては「アイマスを人文化する」という言い方をしていますが、アイマスを学術の文脈で理解しようと試みました。なぜこんなことをするかというと、アイドルマスターというコンテンツを知って、客観的、客観的というか、まぁ評価をするためには、どうしても学術というもののまな板の上に乗っけてやる必要があるんじゃないかと考えたからですね。で、それらのやり方の総括をしました。内容としては、アイマスは宗教なのかという問題に対し、どちらかというと宗教だろうという風に考えました。もしアイマスが宗教的であるならば、人類史におけるどういうものと類似性が見られるかな、というところから、新しい宗教の形態や真の現代の哲学を生み出すための補助というか、そういうものになるという可能性を秘めているんじゃないか。アイマスを含む文化圏には、もっと多くの意味があるのではないだろうかという風な結論を引き出すような発表でした。

ーありがとうございます。ここで、よく協力していただいているUさんから「ぶっちゃけこの研究ジャンルをこれからどう持っていきますか?」との質問が来ています。これに関しては、そもそもなぜこれをはじめたの?というところも含めてですかね。第1回北九州がアイマス学会としては初めてだと思いますが、なぜアイマス学会北九州に参加しようと思ったのか。で、今回の結論とアイマス学会北九州の内容ってちょっとズレているというか、違うものという気がしているんですけれど。なぜそこもまとめとして話題に上げていたのか、そして今後どうしていくのか、この辺をちょっと聞いて行きたいと思います。

じゃあまずはきっかけから行きましょうか。きっかけなんですけれども、これは狂気の弁明当該回を見て頂け……あんまり見てほしくないんですが(笑)、見たいという方は見ていただけると、そこで多少お話させて頂いた所でもあるんですが、アイドルマスターというのは何なのか、我々にプロデューサーという役割を与えたりするアイマスというものは一体何なんだという疑問がまず前提にありました。そこでアイマスが人類によって作られたものならば、今までの人類の学術的な知識で説明できるのではないかというのが始まりでした。それを思いついてから最初の数年は全部独りでやっていたのですけれど、行き詰ってもうどうにもならなくなってしまった。そのまましばらくは不完全な形で右往左往していた感じなんですけども、とりあえず人に見ていただければ、批判を頂くなりして一歩前進できるのではないかと思って持ち出したというのが北九州までの経緯です。

ーありがとうございます。今回の発表では今までの発表について触れながら新しいまとめをするという組み立てでした。なぜ今までの振り返りを入れたのかという理由をお伺いしたいのですが、いかがでしょうか。

今回の発表はアイドルマスターを学術の上で考えてみようという試みの総括という面が強かったので、それをするのであれば、最初の北九州から札幌学会、今回の3回分のまとめをしてあげないと不味いというのが北九州も入れた理由になります。

ーありがとうございます。では、今後この取り組みについてどういうアプローチをしていきたいかについてもお伺いしたいです。

私としては、もうこの問題にアプローチすることは、少なくともアイマス学会の口頭発表という形で、何か皆さんにお話しすることはないと思います。ない……ですね。私がこれをやることの正当性がわからなくなったからやらない。私が期待したことを伝えられ、それに期待する人が出てきた、それで今回の学会3回にわたった「人文化する」のお仕事は1段落ついた、僕の仕事は終わったと考えています。
じゃぁ口頭発表以外で何か語ることはあるのかいと聞かれますと、それはもうわかりませんが、今のところそれもあんまり無いような気がします。既にFESの準備段階でこのテーマは私の手に余る状態だったので、やるよ!って仰ってくれる方がいらしたら是非お渡ししたい、というそんな感じですね。

ーなるほど。今後誰かが引き継いだり、あるいは新機軸で考え始めることになるかはわかりませんが、実際に「こういうことやっているんだ」であったり、先程なぜ北九州に持ち込んだの?という話でも伺いましたけど、学会FESで発表の結果色々なご意見頂いていましたよね。反応が多いというのはやっぱり嬉しいことじゃないでしょうか?

そうですね、私の発表の一番大きな目標として、アイドルマスターとそれを含めた文化圏の可能性、こういう見方もできるんじゃないかという期待を皆さんと共有できたら一番嬉しいなというのがあったので、そういう意味ではとってもありがたいですし、また批評するということは滅茶苦茶エネルギーがいることじゃないですか、なので、批評をするだけの価値を見出してくれたという点でもとても嬉しいことですね。

ーなるほど。ではここでもう一方、いつも協力いただいているRさんからいくつかのコメント、というか質問を頂いています。まず1つ目は「人文化を図る時、それは自然科学ではなく社会科学のフィールドではないか、また自然科学での「合理性」に沿わせようとするのは前提がおかしいのではないか。」ということですが、これについて発表の最初の方で何故自然科学を一度引き合いに出されたのでしょうか。

それは、自然科学というか科学哲学の話だと思うんですけど、私の限界でもありまして、仮説に対してそれが学術的であるかどうかの判定について語ってくれるような学問を科学哲学しか知らなかったという点が大きいですね。パワープレイというか、ラフというか、乱暴な論理ではあるんですが、自然科学の仮説の妥当性はその仮説の合理性に依存しないのと同じように、社会科学のそれもそうであると言うためにやったという感じになりますね。

ーなるほど、Rさんからの質問の続きですね、「合理性主義に依った解釈をしたいなら、それはそれで建神主義のように、その欠陥のある視点を援用したのか」という質問ですね。これはロシア宇宙主義あたりの話ですかね。そのあたりと関係してくると思うのですが、何故使ったのでしょうか?

「合理性主義に依った解釈」というのが今ちゃんと咀嚼できていないのですが、ロシア宇宙主義という大概怪しいものを何故使ったのかという疑問はもっともだと思います。別にロシア宇宙主義を経由しなくても、ハナから思弁的実在論*1の話に行ってしまうこともできました。なのに何故これを使ったのかというと、単純にそれを経由していると愉快だから、ですね。これは本当に申し訳なかったと思っているのですけど、申し訳なかったというのは、これが「衒学*2遊び」なのか、それともちゃんとした学術としてやっているかというのを、ちゃんと明示しなかった点が良くなかった。余興なのか学術なのか、結局どっち付かずの態度になってしまったんです。先述した通り、僕の目標は期待感を共有することで、期待できることが学術的に妥当なのか検証することではなかったのです。と同時に、アイマスを含めた文化圏には、学術的な俎上に載せる価値があるということは、本気で考えていました。このあたりの不均衡さが、学術なのか「衒学遊び」なのか、という混乱を産み出してしまった気がします。

ー問題意識自体はありながら発表としてはあくまでも「こう考えてみたら楽しいんじゃない」という提案だった、といった感覚なのでしょうか。衒学……と言われてしまうと私としても多少刺さってしまうところのある表現なのですが、それが「遊び」と言うのは興味深いですね。もう少し解説など頂けるでしょうか。

「衒学遊び」というものは、私としては間違っちゃいないけど正解でもないことをやることだと思っていまして、たとえば歴史小説みたいなものですかね、史料に書いてあることから外れないけれど、史料を最大限読み物として面白くなるようにする、そういう作業をしていると思っていたので、ロシア宇宙主義を何で使ったかと言われると結局はそれを使った方が面白いからという話になるからですね。

ーありがとうございます。今のお話に関してですが、この話ロシア宇宙主義を持ってくる必要はないけれど、でもアイマス学会だし楽しく語っているという時点でロシア宇宙主義を喋るっていうのもアリなのかね、という意見も追加で見られますね。では、Rさんから最後のコメントですね。「発表全体として、やはり温泉卿さん自身の視点・思考をもう少し聞きたかった」という、言葉が難しかったよということで、そこの説明に時間を割くのは仕方ないと言えば仕方ないですが、結局どこに落としたかったのかというのが私もちょっと疑問でしたね。

どこに落としたいのかというと、これはアイマスのようなコンテンツはもう単なる消費物ではないんじゃないの、もうちょっと、こういう言い方はオーバーですが、人類史の一つの区分となってもおかしくない可能性というか、そういう期待をもっているということを共有できたらよかったので、正直あれ以上の主張を喋ってもなぁという所は正直あります。

ーなるほど、ちなみにここに関してはアイマスはなんなのというのに明確な答えを出さないまま、宗教って何ってことにも答えが定まってない状態で、アイマス=宗教という方向に議論を進める場合、これは単なる知識のひけらかしなんじゃないかというご意見がありますが、これはどう思いますか。

これは手厳しい意見ですね……まぁYESかNOかで言われれば、私からNOと言うことはできないという形になりますね。ただ、多少の言い訳をさせていただくと、そもそもアイドルマスターというものの根幹をなすアイドルというものが神秘、まぁ神秘と言ってしまうのですが、神秘と密接な関係にある以上、アイマスを明示するのは無理なんじゃないかと思っているんですよ。で、同様に宗教も神秘が関係してくるものなので、両方明示できない以上、ピントがバッチリ合っていない、ぼんやりとした概形を示すということしかできないと思っていました。そんなぼやけた概形示されても無価値だよと言わてしまったら、それはすみませんでしたとなるんですが、ぼやけてていてもそういう可能性があるということを示すこと自体に価値があると思っていたので、単なる知識のひけらかしだけではないと言いたい所はあります。ただ、そこに俺こんだけモノを知っているんだぜ!という自己満足が無かったのかと言われたら、それは私は何も言えないので、それは聞いた皆さんの評価にお任せしているという感じにはなってしまいますね。

ーなるほど、ありがとうございます。これは私のとても個人的な感想なんですけど、1プロデューサーとして、この発表のプロデュースはすごいなと思いながら私聞いておりまして、温泉さんの目標としてはアイドルマスターの謎を解明したいわけではなく、アイドルマスターはなんなのかという議論をする仲間というか、言ってしまえば自分より優秀な人間を探していたわけじゃないですか。これに対してFESという大きな場をお借りして、場の力も借りながら、結果これだけの人間が議論して、また特別な知識あるいは勉強を重ねた人材がここに批判を残してくれているというのは、プロモーションとしてというか、あるいは本来の目的達成としてすごくいい発表だったんじゃないか、そういう意味でこのプレゼンはすごくいいものだったのではないかと考えているのですが、結果的に頂いた感想やあるいは批判、自分も考えてみたよからいやここはこうなんじゃないかまで、様々なご意見あったと思いますが、これについてどのようにお考えでしょうか。

えーっと、最初に申し上げたとおり、そういう批評をすることってかなり大変だと思うんですよ。相手方の仰っていることを最大限好意的に理解して、その上で「ここは違うんじゃないの」ということを人格批判にならないようにやっていくというのはエネルギーのいる作業だと思うので、そういうことをやるだけの価値を、このアイドルマスターというもの、というとおかしいですが、アイドルマスターというのがどういうもので、どういう価値があるのかという議論に見出してくれたということは大変ありがたいことだと思っています。で、できることなら、こんなこと言うのも傲慢ですけど、皆さんで色々私はこう考えるというのをどんどん世に出して頂いて、それこそ本当の、正真正銘の学術研究になるようなことになれば発表者冥利に尽きるという感じですね。

ーなるほど、これは多分記事には使わない情報だと思いますが、今「アイマス 宗教」と調べると、上位にミリオンのライブの終了時に無声で「アイマス最高」と手拍子をしている事に対して、宗教みがあるとめっちゃ言われてますね。

やっぱり皆さん感じられますよね

ーだよね。

 

取材後記

まずは謝罪から。読者の皆様、そして温泉卿さん、大変お待たせしてしまい申し訳ありません。徐々にではありますが活動を再開していけたらと思っています。
さて、今回は温泉卿さんからアイマス学会FESでの発表を中心として様々なお話を伺っていきました。編集作業をしながら「何言ってんだ?」と思うことも多々ありましたが、発表された過去3回のアイマス学会において何がしたかったのか、どのように考えていたのかをより深く知ることが出来た気がしました。因みにこの編集中に改めて学会FESのアーカイブを見てみたのですが、ほんの少しだけ理解できる点が増えていました。開催から1年が経とうとしている今、改めて聞いてみると面白いかもしれません。(Lotus)

 

録音データを約一年熟成させたのは私です。腐ってないといいのですけど……(温泉卿)

 

次回は...おそらく再始動記念に何かしらやるそうです。詳細は後日 #狂気の弁明 でお知らせします。

 

(文責:Lotus)

 

*1:「相関主義」の人間中心性を批判する立場。トテモムズカシイ。wikiがありました。

*2:知識をひけらかすこと。

狂気の弁明 アイマス学会FES特別編 Lotus回

今回はアイマス学会FES特別編と称して、編集メンバーかつFES発表者であるLotusさんに話を伺ってきました。
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FES本編:アイマス学会FESTIV@L -DAY2- Part2 - YouTube

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―今回は狂気の弁明アイマス学会FES特別編ということで、FESday2に発表されたlotusさんにいらしてもらっています。まずは発表お疲れ様でした。

ありがとうございます。

ーということで、まずご自身で発表の要約をしていただけますか?

はい、要約…の前に、謝っとかなきゃいけないことがあって、発表中にめっちゃ日本語間違えてるんです。いや、ちゃんと原稿用意してたんですよ、でも二ヶ所とも台本なしで喋ってるところでやらかしてます。はい。本当に申し訳ありません。で、内容はすごく単純で、ミリオンライブ!シアターデイズから登場したJelly PoP Beans(以下じぇりぽと表記)というユニットと、サクラクレパスさんが展開しているレトリコという文房具ブランドがコラボしてくれたら嬉しいなと。で、思う理由はもちろん好きだからというのもあるけど、こういうところでじぇりぽとレトリコに似ている所があるからコラボしてもいいんじゃないの?みたいな話をしました。こんな感じですかね。

ーわかりました。おなじみU氏から「他にコラボしてほしいユニット、アイドルや商品はありますか?」という質問が来ています、これと絡めつつ今後の展開を頂いてもいいですか?

そうですね、あんまりなくて、というのも私がレトリコを見つけたのも結構たまたま見つけたみたいな感じで。で、ジェリポすっごく合うじゃんというひらめきがあったので、つぎのひらめきが来ない限りはあんまりコラボ系のネタは今のところないかなという感じですね。逆に、学会発表とじぇりぽというものであるネタはいくつかあって、特にCD内のドラマについての考察であるとか、そういうところちょっとやってみたいなというネタはありますね。

ー他のコラボについてはあんまり今のところ思いついてなくてという…

あんまり思いつけてないですね。敢えて言うなら…ごめん、やっぱりナシで。
ーわかりました。

アクロドライブと雪歩と言おうとしたけど、コラボされたら私が買った意味がなくなるので、コラボしない方がいいです。いや、雪歩が使ってるんじゃないんだよ、あのペンって、雪歩Pが使ってるって思ったから選んだんだよね。雪歩に使われたら立つ瀬がなくなるんだよ(笑)。

ー立つ瀬がなくなる…んですか?

なんと言うべきか、雪歩が持っているものを後出しで買うって、それ劣化版雪歩じゃん。他のアイドルに関しては違う感情を持つこともあるんやけど、雪歩に関しては同じものを持つっていうのはなんか違うんよね。そもそも雪歩Pは雪歩と一緒に仕事をしてるんで、補完することはあっても同じだったら意味ないんよ。となると私が目指すべきは雪歩じゃなくて自分の中の理想の雪歩Pで、買うべきは南部鉄器じゃなくて雪歩Pが持ってるものとか持つべきものなんじゃないかなって思って、去年の年末に。で自分の中の雪歩Pが持ってたペンに一番近かったのがアクロドライブのメタリックブルーで、だからこそこれを雪歩に使われたらちょっと揺らぐんですよね。

ーいやーこれ使いたいな…マズイかな?

いいよ別に、じゃあちょっとそっちの方向でしゃべってみます?そもそも、学会にタネは仕込んどるのよ。「一身上の都合でレトリコボールは買っていない」であったり、ウワサの方の「いいボールペンを買ったらしい」だったりは全部こっちにつながってくるので、しゃべろうと思えば喋れるんですよね。

ーあんまり喋りすぎると残しとく分がないので、さっきあたりでやめときましょうか。

まぁあの録音には残っているから、使いたかったら取り出して埋め込んでください。

(編集注:使いたかったのでそのまま残しました)

ーわかりました。ありがとうございます。続いて発表の背景についてお聞きしたいんですけど、レトリコとじぇりぽについてそこの組み合わせを思いついたきっかけってあったりしますか?

これは正直覚えていないんですけど、確かシャーペン探してたんですよ。持ってたのがボロボロになってきたんで新しいシャーペンないかなーと思って探しているときにレトリコを見つけて、最初一本だけ見てカラーバリエーションないのかなーと思って見てたら、妙にじぇりぽだなぁと思ったのが最初ですかね。で、じぇりぽだったから四本買って、使ってみたら便利だったからさらに五本買って。それがレトリコとの出会いのきっかけという感じですかね。

ーなるほど、ではそこから学会発表までこぎ着けた流れを教えてもらえますか?

DAY2後の夜会で兎爺さんが仰ってたように、事前にちょっと聞いていたんですよね。一月ごろかな、で、なんかネタある?と言われたので、丁度その時に普通にレトリコ便利だなぁと使っていたわけですけど、せっかくだからじぇりぽとレトリコこんなに似合うんだぜということを学会発表ネタにしてみようかなと。で発表するにあたってやってみたかったのが、レトリコの画像とかの使用許諾をサクラクレパスさんに取るというのをやってみたくて。これは第2回札幌学会の時にクオリアさんが似たようなことをやってらして「この手法やってみたい!」と思ったのがきっかけの一つでもありますね。基本的にはレトリコとじぇりぽいいだろ!というのを言いたかったのと、許可をとるというネタを一つの芸としてやってみたかったというのがあります。

ーさきほど許可取りの話が出てきましたが、許可取りの経緯を詳しく教えてもらってもいいですか?
はい、兎爺さんから話を伺ったのは一月ごろで、そこでじゃあ許可取りをしようとなってまず、スライドを一回全部作ったのですね、学会発表用の、二月頭くらいまでに。で、それを一回グーグルドライブに押し込んで、そのリンクと一緒にサクラクレパスさんのサイトの「お客様の声」の欄から「レトリコが好きです。今度レトリコについて発表することになってこれが資料なんですけど、こういうのをYouTube上で配信してもいいでしょうか?」みたいな問い合わせをしたわけですね。そしたらサクラクレパスさんからお返事いただいて、そこには収益化しなければ問題ないですよという言葉があったのでありがたく使わせていただこうという次第ですね。

ー許可取りに関してなんですが、Twitter上で許可取りという名目でじぇりぽのダイマサクラクレパスさんに仕掛けたのではないか、みたいなコメントがあったじゃないですか。

ありましたね。

ーこれについて真偽はどうだったのでしょう。

察しがいいですね。実際にそれは思っていました。いまでもじぇりぽとレトリコのコラボ水面下で進んでいないかなという期待はしています。実際に見てほしかったというのもありますが、ミテナイカナァ…見てほしかったというのは実際にあります。まぁ、コラボしてほしいと思っているのも事実なので、そういう意図もちょっとはあったかなと、そういう感じですね。

ーLotusさんの同じダイマ系列の発表で、AS学会での「アイドルマスター2 The world is all one!!」のダイマもされていたじゃないですか。今回ダイマダイマと続いた訳ですが、この2つに関係はありますか?

結構ないというか、自分の中では違うものです。前回の方ではAS学会だと、一応私もASからアイマスを知った身なので引くわけにはいかんなと思いまして、その結果生まれたのが自分の原点の一つでもあるざわわんをみんなに知ってもらおうという。であれば、いわゆる学会のフォーマットに真っ向からぶつかったような、学会のフォーマットに則てちゃんと正々堂々自分の中では戦ったつもりだったんですね。だから、雪歩と向き合う、というか、SprouTと向き合うというのがあの学会の自分の中でのテーマでした。一方で今回のやつは今までぷちます!でやっていたネタに近くて、ただ今までさんざん色んな悪行をやってきたので、ちょっとアイマス学会に何かしらの寄与をしたくて。となると自分に何かできるとしたら、今までにあまりなかった発表形態を行うことによって、今後新しく「じゃあこういう発表をしてみよう」という人が前例として「あいつが許されていたからこんぐらいいいだろう」というネタを呼ぶためというか、誰かがアイマス学会をより面白くしてくれないかなという意図をもった発表内容でした。コラボネタって今までにあんまりなかった、多分少ないか無いかだと思うので、一回やれば誰かがやってくれると思うし、私が思いつかないような、ダイマや考察ではない新しいネタを持って参加してきてくれる人がいたら嬉しいなと思ってやりました。

ー今回の発表でアイドルとのコラボではなくて、ユニットとのコラボという形で考えついた理由ってあったりしますか?たとえば、極論ですが近いアイドルカラーでも良かったわけじゃないですか、そこでユニットのカラーに限定した意図はありますか?
いくつかあって、一つ目に思っていたのが、ミリの5thライブ辺りかな、でMTGユニットと商業施設のコラボがあったじゃないですか。そのようにコラボはユニット単位で受けるものであるというイメージがあったんですね。というのも、キャラとコラボしたらそれはただのキャンペーンアイドルじゃないですか、そのCMキャラクターじゃないですか。でもユニットってもとから既にある程度の色があるんで、その色とコラボ先の色との中間を取るというのが、じゃないとコラボと言わない気がするんで、コラボと言ったら自分の中ではアイマス全体でやるか、ユニット単位でやるかの方がよっぽどコラボっぽいなと思っていました。次に、私グリーやってなかったんですよ。となると、例えばロコに注目する時に知っておかなければいけない前提となるテキストをほとんど知らないと思うんですよ。でも、じぇりぽだけなら情報が限られているのでほぼ全て拾うことが可能になるはずなんですね。そういう情報の取りこぼしを防ぐためにあえて情報が少ないものをネタにする、そうすることで誤った評価を行わないようにしました。これは今までずっとやってきたんですけど、漫画版ぷちます!だけをネタにするであったり、ざわわんという全5巻の漫画だけをネタにするという形で、今回もあるユニットだけをネタにすることで情報の取りこぼしをできるだけ少なくして、より詳しい情報、正しい情報を与えられるようにしたという感じですね。

ーそういう理由があったんですね。話は変わってしまうんですけど、この編集部のR氏からユニットのグッズ化という視点が斬新であるとか、展開の方法自体は既存の方法を取りながらも根拠が簡潔明快かつオチが上手いなど構成について褒めるコメントを頂いていますが、このようなスライド構成や展開でこだわった点はありますか?

最初に思い付いた、というか感じ取ったのは色だけなんですよね。レトリコとじぇりぽコラボしてほしいなと思った最初のきっかけは色が似ているだったわけです。で、色が似ているからレトリコを買って、使ってみたら良かったのでレトリコについて調べたら名前からもわかるようにレトロポップをモチーフにしていると、なんか聞いたことあるぞと。最初はその二つで論を進めていくつもりだったんですよ。ちょっと足りないなと思いつつも情報収集していたら、レトリコの紹介ページの中に、レトリコは筆記具のトータルコーディネートができる女子学生向け筆記具ブランドという言葉があったので、これあのネタ使えるじゃんと思いました。だから、ネタを練っている間に三つの柱ができてきて、という形ですかね。で、一番最後に作ったのが、アイドルも丁度みんな学生だし、 CMキャラクターに使われてもいいよねという、あれはもう本当に「俺たちは女子小学生」を引っ張り出すきっかけ作りでしかなかったので、一番最後でしたね、思いついたのは。

ー企画を練っていく中でキャッチーなオチができたので、それに向けて上手く展開するように作ってあげたという感じなんですね。Lotusさんといえばこの狂気の弁明の第一回でインタビューをさせて頂いたんですが、その際にPと呼ばれるからには義務があって、その義務を果たさなければならないと自分の中で思っているというお話がありましたよね。そのLotusさんが考えられたPの義務、具体的には狂気の弁明該当回を参照して頂きたいのですが、義務を部分的にでも果たせたと思いますか?この場合はロコPとしての義務、という話になると思いますが。

うーん、あんまり思っていなくて。むしろロコPとして当然の事をやった、というとなんか人助けした後みたいな台詞になってしまいますが、Pだから自分とこのアイドルに仕事を持ってこようと頑張るのは当然じゃない、というスタンスですね。実際にこれでレトリコとコラボが決まったら「やった!俺がPだ!」となれると思うんですけど、まだ決まっていないので喜ぶ所じゃないかなと。まだPとしての仕事は為せてないよね、という、売上出してこそのPでしょと言われたら何とも言えない、自分の中ではそんな感じです。

ー実際Twitter上でもレトリコ買ったよみたいなコメントは散見されましたが、それでも、ですか。

その場合私はレトリコの担当Pですよね。レトリコ好きとしてレトリコの良さを伝えられたのは本当に嬉しいことですが、ロコPとして、アイドルマスターでのPとして仕事したかと言われたら微妙ですかね。あともう一個あって、6thライブでのロコのユニットメンバーに対しての曲の間奏中の台詞だったりで、ああいうことだったのか!みたいな、じぇりぽを知ってもらうことでライブの楽しみが深まったという方がいて、これはシンプルに嬉しかったです。ちょっとはPらしいこと出来たかな、と思っています。

ーこれは個人的な質問で恐縮なんですが、私こういうことを考えつくのがとっても苦手で、後学のためにコラボネタを思いつくコツみたいなものってあったりしますか?

コツ...正直、ないです。ティンと来るの待ちというか、レトリコに関してもたまたま見つけてたまたまじぇりぽと同じ色だ!って気づいたってだけなので。敢えて言うなら、ティンと来たときはその衝動に従った方が良いです。ティンと来たというかピーンと来たというか、そういう物を感じたらとりあえずその直感は信じるようにしています。あとはアイドルやユニットの情報をなるべく頭に入れといて、日常の中でそういう物を見出すクセみたいなのがあればなおいいと思います。この模様あの衣装っぽいなとか、この数字の並びあのアイドルのプロフィールじゃんとか、そんな感じです。全アイドルについて覚えられるのならばそれが一番だと思いますが、まあ好きなアイドルから少しずつ覚えていけばいいと思います。

 

取材後記

文房具の話で盛り上がりましたが、あまり関係なかったので泣く泣くカットしました。さておきLotusさんのコラボに対しての感覚や発表の作り方など実りあるインタビューになったのではないでしょうか。


次回の公開予定は未定です。

 

(文責:温泉卿)

 

 

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狂気の弁明#10(後編)

学会発表者の狂気に迫るインタビュー、第十回は北九州に送り込まれた幽谷霧子学会の刺客、katariyaさんに来ていただきました。
Twitter:@katariya
ブログ:https://katariya0116.hatenablog.com/entry/2019/12/22/171206

本記事は前回記事の後編となります。katariyaさんに私的P観を伺っていきます。

 

・私的P観

―なるほど、ありがとうございます。では次に私的P観の方に入って行きたいんですけれども、katariyaさんにとってアイマスっていうものをどういう風に認識しているのかっていうのちょっと掘り下げて聞いていきたいんですよ。まずアイドルマスターというコンテンツをどう捉えていらっしゃいますか。これちょっと抽象的な質問で申し訳ないんですけど...

そうですね...僕の中でアイドルマスターっていうコンテンツは、いろんな言い方があるとは思うんですけど、意志のコンテンツだと思っていて、この意志っていうのが結構また抽象的ではあるとは思うんですけども。「アイドルマスターは他のアイドルコンテンツと何が違うんだろう」と言う風に考えた時に、1つはトップアイドルっていうものを念頭に置いているっていうところが最も大きな違いかなというふうに考えていて。これは一つの概念なんですけど、アイドルコンテンツにおいてそのアイドルが自己実現をするっていう過程がドラマツルギーであるって言うのがまあ大枠であるかなと思っていて。じゃあその終着点はどこなのって言った時にアイドルマスターはトップアイドルっていう言葉を置いてると。でもこのトップアイドルっていうものを誰も見た者はいないっていうところがこの物語の肝になるんですよね。ただ、これに関しては今は少し変わっているかもしれない。特にデレとかミリオンとか所謂ソシャゲから始まったアイドルマスターは終わりがないのでトップアイドルというものが出てこないんです。
―あー確かにそうですね。

勿論ある程度ランクとかレベルが上がってここまで行きましたっていうのは出てきたりとかしますよね。ミリ、グリーの頃のミリオンとかでもある程度ここまででかくなりましたよっていうの出てきたりとかするんですけど、終着地点としてのトップアイドルっていうのはなかなか描けないところではあって、でもアイドルマスターっていうコンテンツにおいてアイドルは誰しもたった一人のトップアイドルになりたがるっていう何とも言えないこの不可思議な関係性がある。じゃあこのトップアイドルっていうのがアイドルマスターだとしたらばトップアイドルってどういう概念なのっていうところがあるんですよね。でそれが結局各アイドルの意志、こうなりたいとかああなりたいとかこうしたいって言うその欲望の塊がトップアイドルっていうものの正体なんではないかという。逆に言うとそれが核にある、自分というものが核にあるっていうところがアイドルにとっての資質になるって言うのがこの重要なところなんじゃないっていうのが僕のアイドルマスター観なんですね。
なるほど。興味深いです。

だからまあアイドルマスターっていうのはそういう意味では意志とか欲望とか夢とか色々言い方はあると思うんですけど、僕は意志のコンテンツだっていう風に思ってます。

―ちょっと待ってくださいね、咀嚼に時間をください...えっと、そうですね後は何でしょうその最初の方であのアケマスから入られたって言うお話をされていたじゃないですか、アケマスから入ったからこそこういう思想になったぞみたいなものって自己の中にあったりしますか。

これ言うと古参アピールみたいになるのでなかなか言いづらいところがちょっとあるんですけど...アイドルマスターってゲームであると同時に声優コンテンツでもあるんですよ。一番草分け的な存在ですよね。で、ライブとかを見出して、僕も最初は声優が出てるライブなんてって言う風に思ってた節があったんですよね。結局その後行くようになったんですが。でもやっぱりそのライブに行くようになった時に声優っていうものが、何なんだろう、この声優がその役と完全に重なる瞬間ってどっかであるんですよやっぱり。僕は如月千早のPなんで今井麻美って言う声優さんを見てはいるんですけどそのアイドルマスターのライブで。やっぱりなんかちょっと狂気なんですね。あの瞬間っていうのはその瞬間にリアルタイムで立ち会えたからこそ言えるのはコレは役者に背負わせるべきものなのかっていう迷いもちょっと出るんですよやっぱり。だってそれ人生かけてくださいって言ってるようなもんなんである意味で。
―そうですね。
でもなんかその人生を賭けている役者ってめちゃくちゃかっこいいしめちゃくちゃ見てて楽しいっていう部分があって、やっぱりそこを見続けられたっていうのはアイドルマスターを追っかけてて良かったなっていうふうに思う瞬間ですよね。その役を背負って立ってその役に対して100%の演技って言うんじゃなくて、何かしらの降りてくるっていう感覚が見れる瞬間がやっぱり一番ゾクッとする瞬間で楽しいなっていう風に思ったっていうのはありますね。あとはもうあれですねあの総選挙の展開ASでやったから大丈夫やでって言う(笑)。だからこの展開でどうなんだ、この後どうなってしまうんだみたいなことを不安に思う人結構いるんですけど、例えばミリシタから入った人でどういう風になるのかとかSideMアニメ化した時どうなるのかとか色々その節目節目のこれどうなっちゃうの今後みたいな不安感が出る時ってあるじゃないですか。

―はい。
コンテンツ追っかけてると。でもなんかそれってAS通ってきたから大丈夫だよっていうのは一つ、なんでしょうね経験だなという風に思います。

―先ほど声優さんとキャラクターの話が出てきたじゃないですか、ライブ時の。かなりセンシティブな話まで突っ込んでいく感じになってしまって申し訳ないんですけど、そのキャラクターというのは何でしょう?キャラクターというものと声優さんというものがオーバーラップする瞬間っていうのがどっかにあるはずで、そういう時ってキャラクターが現世に舞い降りたみたいな発想しがちじゃないですか。正確な言葉を使おうとするほどどつぼに嵌っていくんですけども、ざっくり哲学的なあれこれ全て放置して言うのならば存在するかしないかって話なんだと思います。その辺をどう考えていらっしゃるのでしょうか。

1つアイドルマスターの怖いところでもあり多分これがあったから15年続いたんだなっていうところがあって。昔坂上プロデューサーが言ってたんですけど、アイドルマスターを日常にするっていうのはこのコンテンツの一つの目的なんですよ。それってどういうことかというと、ゲーム単体で終わるのってある種作品が完結してるんでそれはとても大事なことなんですよ。だからそのゲームが面白かったって言っとけばゲームはおしまいっていうふうにおけるって結構、ただそこで物語が終わってしまうんですよね。でもアイドルマスターてもうやってるとみんな分かると思うんですけどなんか日常に侵食してくるじゃないですか。
―しますね。

何となくアイドルのこと考えているとか、この間オモコロの恐山さんが「顕」っていう風に言ってたんですけど、僕は「ハーブを焚く」っていうんですけど、要はアイドルの幻覚を見だすんですよねみんな何となく。それってたぶんアイドルマスターだけなんだろうなっていうとこもちょっとあったりとかしてこんな怖いコンテンツはっていうところはあるんですけど。それってなんでそこを目指したのって言うと勿論継続的なコンテンツ継続っていう部分も勿論あるんですけどゲームっていう物、所謂二次元だったりとか架空の物語っていうものが日常に対して漏れ出る感覚っていうのは、ある種のオタクの夢であるというところがあると思っていて。
―そうですね

要は二次元の向こう側に行きたいっていう人はいっぱいいるんですけど、二次元がこっちに漏れ出してくるっていうこともありうるんだっていうところって結構重要だなと思ってて。でライブがなぜあんなに面白いのかって言うとその二次元が漏れ出てくる瞬間があるから面白いんじゃないかっていうふうに思うんですが、その二次元が漏れ出てくる瞬間っていうのが声優さんが、要はアーティストじゃないんですよ。彼女達は別に自分を見せたくてあそこに立っているわけじゃなくて役を見せたくってあそこに立っているんですよ。役を見せたい人たちが役を下ろして現実に対してそういう二次元的な存在っていうものを漏れ出でさせる瞬間っていうのが何より旨味なんじゃないのっていうのが大事なのかなと。だからそこが求めてるじゃないけども何かその瞬間が一番コンテンツが世界を、リアルを覆って混ざりあうのが一番見てて楽しい瞬間だよねっていう。
―面白い現象ですよね。

瞬間かなと思いますね。

―先ほど幻覚のお話をされていたじゃないですか。katariyaさん自身がその幻覚とどういう距離感でお付き合いされているのかっていうのをちょっと伺いたいんですけど。
何でしょうね。突然見えるときがあるかなみたいな感覚(笑)。
―(笑)プロデューサーさんとしてのkatariyaさんっていうのは、それはあちら側にいるんですかねこちら側にいるんでしょうかね。

多分僕はこっち側にいるんですけどこっち側にいて向こう側の景色が見えるっていう瞬間はあって、例えば島村卯月がいるじゃないですか。島村卯月っていうやつがいて島村卯月のクラスメイトで結構引っ込み思案で他に友達がいないんだけど島村卯月だけがなんか自分に話しかけてくれてたっていうのがいて、でそのモブ、あえてモブっていいますが、卯月と電話とかで話していて私の友達だっていう風に認識してたんだけど向こうがアイドルで忙しくなってライブとかで全然学校に来なくなって自分がまた一人ぼっちになってしまった時に島村卯月というアイドルに対して何かどういう感情をこのモブは抱くんだろうっていうのって、まあ幻覚じゃないですか(笑)。
―(笑)まあそうですね、幻覚ではあります。
というのが日常で見えてくるっていうかんじですね、感覚的には。その世界にいる人たちとか何となくこういう人いるだろうなーっていうのを見てはお話をするっていう。こういうこの幻覚の見え方が「ハーブを焚く」っていってるんですけど僕の場合。また「ハーブが焚」かれたってだけSNSに書いて、よくわからないけどその幻覚に共感する人がみんな共同幻想を見てるなと思いながらポチポチ見てたっていうことは...

ーそういう物を言語化するってことは恐怖を覚える行動ではあるんですけど、というのはどうしても言語化する過程でいろんなものをそぎ落としてしまうので。それを恐れずあえていうならば、アイマスの世界と現実世界はおそらく分離しているんだけど壁に穴が開いてて漏れ出してくるみたいな。

部分的には見えてるしなんならアイドルマスターってやっぱりリアルな世界観なんで。あの世界ロボットとかがたまに出るんですけど(笑)結局どんだけアイドルが死んだりとかなんか戦ったりとかしてもその劇中劇ですっていう形の線引きはされてるじゃないですか。例えばコンビニにいる時とか例えば料理を食ってる時とか例えば教室、大学生だったりとか高校生だったりとかが教室にいて勉強してる時とかで、そこに多分アイドルって重ねられるんですよね。だから多分あの子は窓際にいるこの子は昼飯でタコさんウィンナーが入ってるお弁当を食べてるとかで多分自分がいる日常の中でふと見えるし景色の中にいるんですよね。だからその重なった瞬間っていうのを捉えて言語化するっていう感覚の方が僕の中では近いかなっていう感じですね。
―なるほど、わかりました。ありがとうございます。ちょっと話が変わってしまうのですが、幽谷さんをはじめとしたアイマスアイドルって、デカルト物心二元論の枠では語ることのできないモノだと思うんですよ。個人的には、彼ら彼女らはモノにもココロにもなりうる、つまり情報だと思っているのですが、katariyaさんはどう捉えられていますか?

その点に関しては、現代において物心二元論というのは古い理論で身体は精神に引っ張られるし精神は肉体に支配される瞬間があるんですよね。さらにいうと現代においてサイバーパンクやSF的な作品において「モノを持たない精神」という概念が現れた。これらは俗にAIとか呼ばれるものですね。こういったところからモノと精神というものが対立するものではなく、精神とモノが相互に作用するし、なんなら僕らは脳という電気信号で「精神」を作り出してない?というところまで来ているわけです。だから、この場合における電気信号を「情報」と置き換えるのであれば、2次元のキャラクターというモノはすべてある種の「情報」ですし、そういった意味で二元論に当てはまらない存在、といえるかもしれません。

―そういったアイマスアイドルがデカルトの連続性を担保するというのは、一種の皮肉じみたものを感じるのですが…

そうですね。ただそれ自体はデカルトにとっては「救い」だったのかなとも思えます。彼は決して「神」を否定していたわけではなかったのは前回も語りましたが、SF作品において僕たちはAIが神様となる作品をいくつか知っているのではないでしょうか?例えば「パラノイア」、例えば「2001年宇宙の旅」。彼らAIが人間に対してある種の神として機能するところを思考実験において僕たちは見ている。それが救いとなるところも。だからこそ、霧子が「救い」になることは彼にとって自分のひとつ理論が否定されたことよりもより大きな「信仰」の顕現として救いになるのかなと思います。

―お聞きするのを失念していたのですが、デカルトに目を付けた理由ってありますか?

そもそものきっかけは「ローゼンメイデン」ってアニメなんですよね。あれってお父様って言われる人形の子たちを作った存在が示唆されるんですけどこのお父様が「お偉い哲学者の先生」って呼ばれているところがあって、それの元ネタがデカルトなんですよね。デカルトには愛娘のフランシーヌに似せた人形を持ち歩いていたっていう伝説があって、そこから上記の話に繋げたとおもうんですけど、まあ何故デカルトがそうしたんだろうか?っていうのが気になっていろいろ調べるうちに書籍を読んでいったというのが始まりですね。まあそのあと本当は人形なんて持ち歩いてないし、その伝説自体が後世の作り話だったというオチもつくんですが。

 

―(Lotus)アイドルマスター観について「トップアイドルを目指す意志」のお話を伺いましたが、個人的にアイマスは「トップを」「みんなで」目指してアイドル活動をする作品だと考えていたんです。katariyaさんにとってアイドルマスターに占める「みんなで、力を合わせて」の割合はどれほどでしょうか。

僕の中では7:3で3の方が「みんなで、力を合わせて」だと思ってます。というかそういうコンテンツであってほしいという所があります。もちろん仲が良い瞬間というのはとても素敵なモノですし見ていてほほえましくあります。しかし、現代的な価値観によるのであればアイドルの本質は「闘争」であると思っていて、その闘争というのは「自らの意志を貫くための世界との闘争」という感覚が僕の中にあるからです。そして、生きる上で「自らの意志」というものは他者の「意志」と必ず衝突します。その時に「みんなで、力を合わせて」というのは決して「争わず」という言葉が入るわけではなく「時に争い、時に助け合うから」こそ「個の力を合わせる」ことが出来る、というのが「アイドルの物語」の一つの魅力だと思っているからです。

―なるほど。あくまで闘う事が前提、と言った感じなのでしょうか。これは先ほどあったアケマスから入った影響などがあるのでしょうか。

そうですね。自分の中でリアルのアイドルで「モーニング娘。」が好きだった時があって、そもそもその最初のメンツって「オーディション」の選抜に落ちた人間を集めて出来たモノだったんですよね。だから自分の中でアイドルというものに関しては「選ばれることである」というのが先にあったというのも大きいです。おそらく「みんなで、力を合わせて」というところは自分の中で言うとアニマスの頃からファンやコンテンツの方向性に感じてた部分ですね。でも、それでも最終話付近で春香と皆は構造的に対立しますし、映画の中においても「それぞれがそれぞれの考えを持った上で」という前提を描いた上であの最後の結論に至っています。だからこそ、アイマスの意志というのはそこでも意識された作りをしていたなと言うのは思います。また、ある意味でさらに「闘争」をより先鋭化した形なのがのちに続くシンデレラガールズであった、というのも当時としては感じていました。

―ありがとうございます。最後に、これは個人的な興味の質問で今後インタビュー毎に訊こうと思っている質問なのですが、アイドルはアイマスから独立して思考すると思いますか?

これは少なくとも、コンテンツの終わりが現代においてどこになるのか、という問題があります。昨今において運営側がコンテンツを閉じたとしてもそのコンテンツそれ自体が終わらないことがあります。何故ならユーザー自身がそのコンテンツに対して創作をし続ける場合もあるし、その創作活動が共同体となって細々と運営され続けることもある。さらにはそれによってリメイクなんかもされたりする。ある瞬間「アイマス」というコンテンツが「終わった」と認識しても、そういった共同体やコミュニティが残り続ける限り、その中で「アイドル」は生き続けると見ることもできる。その形が独立しているのか?と問われると曖昧ではありますが、少なくともその形になって残った時には運営という「アイマス」からは切り離し、独立してその中で生き続けるという見方は出来ると思います。



編集後記

二回に分けてお送りしてきましたkatariyaさん回。バックボーンがこんなに違うにも関わらず導かれる結論に共感出来るのかと驚きました。これは収斂進化によるものなのか、それともアイマスが本来持つ普遍的特性の表出なのか。今後のP学の発展が期待されます。

次回は未定です。アイマス学会FESTIV@L後に#狂気の弁明でお知らせします。

 

 

(文責:Lotus)

 

 

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狂気の弁明#10 (前編)

学会発表者の狂気に迫るインタビュー、第十回は北九州に送り込まれた幽谷霧子学会の刺客、katariyaさんに来ていただきました。
Twitter:@katariya
ブログ:https://katariya0116.hatenablog.com/entry/2019/12/22/171206

 

アイマスとの出会い

―はじめていきたいと思います。katariyaさん、よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

―まずはアイマスとの出会いという形でアイマスとの一番最初の接触がどういうものだったのかっていうのをお聞きしたいんですけれども。
そうですね、僕がやり始めたのがアーケードの頃からなんで、もうかれこれ15年くらいなんですけど。まあゲーセン行ったら社長に声かけられたっていうのが一番最初になりますね。その頃って所謂ギャルゲーだったりとかが割と華やかなりし頃とというか、色々KeyとかLeafとかが出てた時代なんで、本当にギャルゲー文化みたいなのが隆盛だった頃だったんですね。そこでなんか実際にゲーセンでやるのマジで言ってるの?みたいなところがちょっとあったんですけど。ギャルゲーって家の中で一人ぐへへって言いながらやるようなものなんで。これをゲーセンで衆人環視の前で俺はやるのか?っていうところからスタートなんです、アイマスのアーケード版って。だけどとりあえずやってみようというので、というのがアイマスとの出会いですね。

―なるほど。アーケードを触ってみようと思ったきっかけは何だったのですか

やっぱり新しかったんですよね、その当時で見ると。僕自身が結構ゲームが好きでアーケードもやるしコンシューマーとかもやるんですけど、その中でアーケード筐体の中でカードが当時あったんですよ、プロデュースカードっていう。ああいうカードをやるって言うのは新しかったんですよね。そこで実際にそのアイドルが踊っているライブシーンを写真に撮ってカードに印刷できますっていうの画期的だったんですよ。そのギミックが面白いっていうのもあったし実際にやってみるとたしかになんかオーディションの読みあいなどが骨太でできるって言うのが面白くて。実際にやってみようっていうのが最初っていう感じですね。

―なるほど。アイマス以前からこうゲーセンとかにはよく行かれたんですね。

そうですね。だから音ゲーとか、ゲーセンに置いてあるそういうネットワークゲームとかが丁度出始めたぐらいの頃だったんでやってましたね。

―ではアケマスから入ってこう現在までの経歴みたいなのを教えてもらっても大丈夫ですか。

そうですね、基本的にはアケマス出たての頃からやりはじめてしばらくやったりしてたんですけど、当時キャバクラメールってファンの中で言われていたシステムがあったんですよね。すげー重いメールがアイドルから来るっていう、で実際にゲーセンに行かないとこのオーディション勝てないからねっていう風になっていて。その時間に行かなきゃいけないんだけど、普通に授業中だったりとかバイト中だからいけねえよみたいなのがあってちょっときつくて少し離れてたんですよね。丁度その後くらいにニコニコが出始めたんですよ、ニコニコ動画が。でそのニコニコ動画アイマス動画がいっぱい上がってくるわけですよ。その時XBOX版が出た関係で、XBOX版の動画を日がな一日見るみたいな、大学生だったんで暇を持て余した時だったんで。もうその頃はずっとニコマス見てましたね。ゲームはちょこちょこ買ってはいてSPやDSとかをやっていて。ライブに行き始めたのがだいたい4thの年のクリスマスパーティーかなんかが1番最初なのかな。いや4thだったかなぁ。当時東京ドームシティ辺りでやっててライブとか行ったことなかったんでそこで実際に入って天海春香役の中村繪里子がIwantの歌い出しでとちるっていうまさかの事態が発生したりとかして(笑) 。ちょっと記憶がそこらへん曖昧なんですけどなんかそういうのを見たりとかしてあライブ面白いなって思ったんですよね。結局そっからは基本的にライブは参加して、デレもミリもやったしSideMもやってて、でシャニマスが新しく出るっていうんでやって、という感じでほぼほぼそっからもうずっとライブもゲームも基本的に追っかけてるっていう感じですね

―あー、じゃあもうアイマス全体を全部。

そうですね。一通り全部やってるような感じにはなります。

―因みに今現在このブランドに力を入れてますみたいなのってあるんですか。

まぁ色々ありますけど、少なくともSideMとシャニに関しては結構力を入れてますね。やっぱりSideMの方はゲームをがっつりやってるって言うのと、あとシャニマスはシナリオを追っかけるのが楽しいなっていうので。後はデレもミリシタも基本的に担当が来たら走ってちゃんとカード取るくらいのことはやってるかなっていう感じにはなりますね。

 

・担当や推しについて

―なるほど、わかりました。ありがとうございます。続いて、では担当や推しについて伺っていきたいんですが、まず担当について伺ってもいいですか。

はい、これ担当ってあれですよね全ブランド言った方がいいですかね。

―そうですね、全部お願いします。

ASの方だと如月千早で、デレだと東郷あい、ミリオンだと宮尾美也でSideMだと水嶋咲、でシャニマスだと有栖川夏葉になりますね。

―なるほど、分かりました。では推しについても教えてもらっていいですか。と言うかその前に推しという概念は存在しますか。

あ、はい、しますします。大体僕の中では担当推し性癖まであります。

―あー、三種類あるんですね。

えっと、デレだとヘレンさん、でSideMだと卯月巻緒ですね。でシャニマスだとそうですね、まあ幽谷霧子がやっぱり推しかなと言った感じですね。

―分かりました。では担当と推しの間に明確な差っていうのは存在しますか。

まあどれくらいガシャを回せるかとかそういう基準にはなってしまうんですけど、なんだろうな、こいつは担当しないとダメだなっていう人とこれは担当しなくてもいいけどこいつが踊ってるとか歌ってる姿見たいなっていう違いだとは思ってますね。担当するっていうのがおそらく僕の中で何か基準があって。それは「あ、こいつはプロデューサーがいないとダメだな」っていう人間に関しては担当しようって感じになるんですね。で、自分がなにかコメントできそうだなっていうところがある人間に関しては担当しようかなっていう感じになるんですけど推しに関してはそれで完成されているからそれを見たいみたいなところがあって。特にその傾向が強いのがヘレンさんなんですけど、ヘレンさんってぶっちゃけプロデューサーいらないかなと思ってるんですけど、でもヘレンさんがライブに出てる姿はすげー見たいんですよ。

―見たいですね。

それで「世界」が変わるんで、そこは見たいんで推しかなって感じです。

―なるほど、分かりました。ちなみに先ほど担当・推し・性癖という差があるというふうにおっしゃっていましたけど、性癖については触れても大丈夫ですか

あ、大丈夫です。そんなに変なことは言わないんで。性癖だと和久井留美っていう子がいるんですけど、なんですかね。僕の好きなシチュエーション的に酔っ払った女の人がくだを巻いているってのが凄い好きなんですよ、居酒屋で。で、和久井留美デレステのメモリアルコミュ1がそれなんですよ。で、かつあの女の人に関しては何か嫌なことがあった時にバッティングセンターで三振するっていう噂があるんですけどもそれが超好きでこれはライブ見たいとかそういうんじゃなくても単純に好きっていう感じなんですね。人間性と言うか滲み出てくるキャラクター性みたいなのがもう単純にツボを押さえられてるところがあるって感じですね。

―そうすると推しと性癖の差っていうのはそういうところになってくるわけですよね。

そうですね、だから結局アイドルとしてみたいのかそのキャラが好きなのかって結構違うかなと思っていて。

―なるほど、分かりました。

 

・発表要約

―続きまして北九州学会でされた発表の要約をお願いします。

僕のやった発表っていうのが、シャニマスにおいて幽谷霧子っていうL'Anticaのアイドルがいるんですけれども、その幽谷霧子がものに対してさん付けをするっていう特徴があって。でそのさん付けっていうのが実はルールがあるよっていう問題が提起されていて、それがまぁ幽谷霧子さん付け問題っていうやつだったんですけど、これは要はそのシャニマスの実際のプロデューサーである高山Pから、実際に幽谷霧子はそういうなんかの基準を持ってさん付けをしてるよっていう話が感謝祭の時にありまして。でその「さん付け」のルールっていうのはどっからどうきてるんだっていう話が主題です。「さん付け」っていうの霧子にとって役割の主体である存在というのに「さん付け」を行う。例えばカップが割れる前にはカップだったのに、カップが割れて「フラワーポッド」になった瞬間に「フラワーポッドさん」という呼び方になる。それは彼女の認識においてカップが物語性の主人公になったからなんですよね。それを踏まえた上でその「さん付け」というものを考えた時に、フランスの哲学者であり数学者で私の推しでもあるデカルトの「我思う故に我在り」っていう概念が【我・思・君・思】というカードで接続されていて。そこから幽谷霧子の「さん付け」っていうのがデカルトの孤独を救っているというお話ししていった、という感じの流れになりますね。ここのデカルトの孤独というのは、「この世が全てが嘘だった時に最後に残った自分の孤独」というものです。デカルトが唱えた「我思う故に我在り」という概念は「世の中の全ての事象を疑っていった先に最後に疑っている自分は残る」という概念で、いわばこの世の全てが偽物であったとしても最後に自分が残るって話なんですよね。その考えに立つと、人間っていうのはとても孤独な存在となる。ただ彼は実は修道院に入っていて神様というものも同時に信じていた。デカルトは上記の概念で「完全なる神」の存在証明をしようとしたのですね。人間は偽物かどうか悩んでいる時点で不完全であり、自分の連続性っていうのは保証出来ない。次の瞬間自分以外が嘘になる可能性があるので世界が連続して存在することを保証できない。だから、その連続性を保証する存在として神様って必要だよね?という理論を立てたんです。現在では結構オカルトチックな考え方ですよね。しかし幽谷霧子はシナリオでデカルトに「さん」をつけて、「デカルトさんおやすみなさい」と言ったことで例えこの瞬間が世界が夢で消えたとしてもデカルトという物語が続くことを願った。ここにおいて幽谷霧子はデカルトにとって神様の似姿、すなわち「偶像」となっている、というところにこのコミュの本質があるというお話でした。

 

・今後の展望

―わかりました。ではその発表について今後の展開っていうのは考えていらっしゃいますか。

そうですねあの幽谷霧子に関しては今カードを2枚ぐらいすでに出ている状態、まあp-ssrで出ている状態なんですね。実際にその発表の一番最後で限定ssrくるよね、で、多分幽谷霧子にとっての家族と死の話になるんじゃないかっていう風にしてたんですよね。それで、最初に来たやつ(鱗・鱗・謹・賀)が所謂おばあちゃんから受け継ぐとか引き継ぐっていう概念の話になっていて、その着物をおばあちゃんからもらうみたいなコミュになっていたんですけれどもその引き継ぐって概念って実はあんまり西洋の哲学ではないんですよね。西洋の哲学っていうのは基本的に宗教観がキリスト教なんで、所謂その今の人生を歩んだ上で最後の審判に向けて良い人生を歩もうっていう感覚なんですよね。なんだけど、受け継ぐとか輪廻するとかっていうところって所謂東洋哲学の方の分野になるってところがあって、幽谷霧子のこないだ来たきんきん... ちょっとカードの名前の読み方がわからないのも幽谷霧子の特徴なんですけど、こないだきたカード(琴・禽・空・華)が所謂輪廻転生のお話だったんですよ。カードの名前にクウゲ、空の華って書いて空華って読むんですけどそれが仏教用語でありもしない妄想だったりとかありもしない夢にとらわれるっていうニュアンスなんですよね。その空華とかその輪廻転生みたいな価値観を通して幽谷霧子っていうものがここから未来へどういう風に進むべきかっていう話を輪廻っていうところを踏まえた上で語るという事をやっていたんですね、この間のカードが。限定だったんで相変わらず誰も読めないんじゃないかこれって思ったんですけど(笑) まあそのあたりの話とかは今度どっかでできたらいいかなーとは思っていて。

―是非聞きたいですね。

今霧子ってp-srとかも出てて、でp-sr(君・空・我・空)でクオリア*の話をしてたりとかしてて。

―そうなんですか。

あなたが見てるものと私が見てるものって同じじゃないけどそれを共有できることに喜びを感じるよっていう話をしてたりだとか、これ三峰とのカードであるんですけど。なんだけどその所謂幽谷霧子っていうか我思う故に我あり、自分一人の世界観だったものがそこからちょっと広げてクオリアっていう共感の世界とか共有の世界っていうものになって更にそこからもう一つ広げて東洋とかの方に行って自分の行いっていうものが社会に与える影響が、でもそれは輪廻転生でいつか幸福になるしいつか不幸になるしっていうのは禍福は糾える縄の如しっていう所謂ある種の仏教観ですよねの中に納まっていっているよっていう流れが今霧子のカードで出来てるんですよね。なんで所謂西洋哲学から東洋哲学にいってその東洋哲学で霧子の今のp-ssrがいっているからその哲学の流れみたいなものが結構今霧子のカードを追っていると出ているよっていうところがあるっていう形の話とかもなんかできるかなとは思っています。

―すごい…

はい。なんでそういうのは発展性として霧子の今の現状どうなってるのっていうところでお話ができるかなというのはちょっと思っていたりはしますね。

 

・犯行動機

―めちゃくちゃ面白そうじゃないですか(笑)。分かりました、ありがとうございます、では続いてその北九州学会で発表された内容の動機っていうのがどういったものかっていうのを聞かせていただいてもいいですか。

あれですね、八割がた趣味ではあるんですけど。シャニマスの中のモチーフって言ってしまえば、そのアイドルの本質はぶっちゃけモチーフを知らなくてもちゃんとわかるようになっている。だけどそのモチーフを知ってるともうちょっと楽しくなるよっていうところの話をしたいなっていうのがまずあって。知っとくとニヤッとできたりとかなるほどねみたいな感じで楽しめるっていうのって、それって何でしょうね、こういう言い方が正しいのかわかんないですけど、1つの「教養」だと思うんですよね。なんで実際シャニマスの文章を読んでてこのモチーフの元ネタってなんだろうって言って探って哲学だったり小説だったりとかにアクセスするっていう人って結構多いんですね。だから元ネタにアクセスすると、物語からもっと奥まったところにあるものに繋がるんですよ。それって結構人生を豊かにするよねっていうところが伝えられたらいいなという風に思っていて。それは別にその楽しみ方をしろっていう話ではなくて俺がこういう風な楽しみ方をしてるんですよねっていうところを伝えたかったっていうのが発表の動機かなっていうところではありますね。

―ちょっとこれは私の個人的な疑問なのでオフレコでも全然大丈夫なんですけど、大学とかでそういうものを専攻されていたりしたんですか。

大学は文学部で小説書いたりとか読んだりばっかしてましたね。ただ小説とか戯曲なんかを読んだりした時に、結局、その中で宗教観だったりとか何かしらの哲学だったりとかをちゃんと引用していたりして。で、その源を探るっていう行為はしなくちゃいけない。なぜその台詞が出てきたのか、なぜその台詞を書かなければならなかったのかっていうところが分からないといけない。なんでその関係でずっとそういう哲学書だったりとかっていうのまでさかのぼって読んでたっていうのはあったっていう感じですね。

―何でしょう、専門的な教育を受けてらっしゃったようなものですよね。

まあ、とはいえ僕も哲学科っていうわけではないんで。本当になんかあの門前の小僧みたいな…

―いやいや…

読んだこととかははあるんですけど本当に専門とかでは全然ないんで詳しいとは全然言えないんですけど(笑)ある程度知ってるよくらいの感覚ですね、個人的には。

―そういうバックグラウンドがあったんですね。ここまで個人的な質問で申し訳ないんですが。じゃあやっぱり犯行動機としても今までやってきたことを趣味で適用してみたらとっても面白かったぞみんな見てねっていう感じが強かったんですかね。

そうですね。まあこの読み方って実は誤読とかもいっぱいするんで個人的にはあまりいい読み方じゃないかなと思うんですけど、僕はこの読み方をする奴は悪いオタクだといつも言っているんですけど、だから作者そこまで考えてないと思うよっていうところまでいくオタクがいるじゃないですか。自分もそうなっちゃってるかもなあと言うのは常に危機感としてあるんですけど、まあでもそれはそれとして楽しくなるよねっていうところはありますね。

―わかりました、動機としてはやっぱりそれが一番大きい理由ですか。

そうですね

―他には何か動機はありましたか。

デカルトってすごいのよっていうところを伝えたかった、はい。みんなデカルトやろうぜデカルト方法序説読もうぜと言うところがちょっとありますね。

―なるほど、ありがとうございます。では次に私的P観に入っていきたいんですけれども...(後編に続く)

 

・注釈

*:和訳するならば、感覚質。意識の主観的部分。たとえば、砂糖を口に含んだ時に感じる「甘さ」という感覚は個人差があるだろう。そういった主観的「感じ」を指す言葉である。心を一種の計算機としてとらえる機能主義に対する批判材料として使われることがある。

・編集部注

余りにも濃い内容だったため前後編に分けさせていただきます。読者の皆様並びにkatariyaさん、申し訳ありません。

次回、katariyaさんに私的P観を伺っていきます。公開は【五月初旬】予定です!

 

 

(文責:Lotus)

 

 

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狂気の弁明#9

学会発表者の狂気に迫るインタビュー、第九回はシャニマスに「治療」のプロセスを発見した恒河沙さんに来ていただきました。
Twitter:@liebender381
発表リンク(アイマス学会inSapporo):
https://youtu.be/ozztaNgNVcM?t=18760

 

アイマスとの出会い

ー(温泉卿)今回は恒河沙さんにお話を伺っていきたいと思うのですが、まずはアイマスとどういう風に出会ったかについてお話頂いても大丈夫ですか?

わかりました。最初にアイマスアイマスというか僕はシャニマスしかやってないんであれなんですけど、シャニマスを認識したのは去年の4月…ですね。去年の4月に友人から勧められて、その時は適当にかわした、というかコイツめんどくせぇなと思ってかわしたんですけど、その後8月、4ヶ月たって8月に全然関係ないんですけど試験勉強していて、試験勉強が嫌になって、その時にアイツなんかシャニマスとかいうの勧めてきたなぁって思ってちょっとやってみて、やってみたら試験勉強どうでもよくなっちゃって試験勉強そっちのけではまっちゃったという感じですね。友達が勧めてくれたというのが入口でもあるし、逆に遠ざけていた理由というか、まぁそんな感じなんですかね。

ーなるほど、ありがとうございます。そうするとシャニマスを始められてからずっとそれ一本でやってこられたと、そういう感じですかね?

そうですね。まぁなんか一応ポプマスもやってみたり、この前sideMのアニメをYouTubeでやっていたので見てみたりはしたんですけど、今のところゲームやっているのはシャニマスだけですね。

 

・担当や推しについて

ーでは、担当や推しについてお聞きしたいんですけど、担当というのは決まっていらっしゃいますか?

いやまぁ担当というものは決まっていない、というか特に…持ってないのですね、そういうのは…

ーそうすると、そもそも担当というものが概念として存在しなかったりしますか。

そうですね、少なくとも「僕の担当」というのは基本的にないというか、あくまで担当はプロデューサー(以下P)の担当で、僕とPは別人なので、担当アイドルは僕にはいませんというのが僕のスタンスなんですかね。

ーでは推しということについてはどうなんでしょうか。

まぁ推しもあれなんですけど。推しって意味を厳密に考えたら、他人に推せるか、応援できるかっていうのじゃないとダメだと僕は思っているので、そういう意味ではillumination STARSの風野灯織さんとか、まぁあとnoctchillの福丸小糸さんとかは…推しになるんですかね。皆頑張っているのを応援したくないわけじゃないんですけど、特に人にこのアイドルいいよ!って推せるのは風野さんとか福丸さんとか、ですかね。

ーこれは難しい質問になってしまうかもしれませんが、担当や推しの差はどういった部分にあると思いますか。

なんだろう、すごく記号みたいな理解しかしてないんですけど、担当はPが担当しているアイドル、で、推しは僕が推せる、というか推したいと思ったかどうか、という感じの理解なので…そうですね、それこそ僕の中では差は明確なのですけど、それが他の人とどうかというのはちょっとわからないんですけど。差は明確で担当はいないんで、どうなんですかね、難しいですけど、別に気に入ったキャラクターを言う言葉ってファンとかでもいいわけですし、単純にお気に入り、贔屓といってもいいわけだし、担当と推しに限る必要はないと思っているので、無理やり担当とかっていって、自分の気持ちを一つに固めちゃうのはよくないな、と思っていて、なんかちょっと脱線しちゃったな…そうですね、担当と推しの違いは、担当は担当しているかどうか、推しは推したいかどうか、ぐらいにしか思ってませんね。

 

・発表要約

ーわかりました。では、発表の要約の方に移って頂いても大丈夫ですか?

わかりました。僕が札幌の学会で話させて頂いたのは基本的に、僕たちがどういう視点からアイドルマスターシャイニーカラーズをプレイしているのかということと、でそれが僕たちにどう影響しているのかを考察したんですけども。で、じゃあどういった視点からシャニマスをプレイしているのかといったら、ゲームシステム上は我々はPっていう人間、まぁちょっと名前はわからないですから本当にPとしか言えませんけど、Pという人間の視点を借りてシャニマスの世界を観察しているんですけど、一方で感情という部分に注目してみたら僕らはPの感情と同じものを感じているかというとそれは疑問だなという風に僕は思ったんですよ。じゃあ一体僕たちは感情をどこに重ねているのかといったらアイドル、Pではなくむしろアイドルのそれに重ねているんじゃないかということを、まず一つ結論づけて、じゃあそのアイドルに感情を重ねることはどういう効果を僕たちにもたらしているかということを考えてみると、シャニマスのテーマのひとつとして、アイドルをプロデュースしていく中でそれぞれ個々が抱える問題を解決というか、いい方向に持っていくというのがあると思うんです。そのアイドルそれぞれの問題がいい方向へ向かっていくなかで、そこに重なった、特にアイドルと重なっている自分の心の中のわだかまりがいい方向に向かっていくのではないかと考えて、それを僕はウィトゲンシュタインから表現をパクって「治療*¹」と、これは本当に表現をパクっただけなんですけど、「治療」と言っているという、それが主旨ですかね。

ーありがとうございます。確か本番中時間が足りなくて省略した部分があるとおっしゃっていたように記憶しているのですが、その部分について触れていただいてもいいですか?

今言ったのはアイドルに対する我々の重ね合わせっていうことだったんですけど、それって別にシャニマスの23人のアイドル全員に言えることではなくて、というのはよく言われるPラブガチ勢といわれる人たちですよね、例えば杜野凛世さんとか月岡恋鐘さんとかああいう人たちというのは、我々の感情をエミュレートしているわけではなく、むしろ客体的というか客体要素が強いというか、なんていうんですかね、すごくちゃっちい言い方をするといわゆるギャルゲー的なことをしたい人達向けというか、向けではないんですけど全然。ただまぁそういう要素が強いというか、いわゆる攻略対象というか、「へぇー君はこんな事思っているんだね」って我々が思うアイドルもいるわけですよ。いるわけですよって僕当たり前のように言っちゃいましたけど、多分それは僕の発表を聞いた人がひとつ思う、なんというかモヤっとしたところだと思うんですよ。だから、その一概に全員に感情を重ねられるっていうわけではないなっていうことを当然状況としてあって、そこから僕は23人のアイドルを大枠で三つに分類してみました。ひとつが主観的なアイドル、これは我々が感情を重ねる側ですよね。よく言動がすごくメタ的だな、ということを言われている人たちで、例えば三峰さんとか、実在性高いと言われるような人たちが多分ここに当たるんじゃないかなと思っていて。三峰結華さんとか樋口円香さんとかそういう微妙な気持ちの揺らぎみたいなものを我々が重ねるのはそういうアイドル。でもうひとつが客観的というか、客体的なアイドルで、それはさっき言ったようにいわゆるギャルゲー的なアイドルの人たちで、杜野凛世さんとか月岡恋鐘さんとか、まぁあと正直僕は微妙だと思っているんですけどいわゆるPラブ勢っていうんだったら大崎甘奈さんとかですかね。僕は大崎甘奈さんがPに恋しているというのはちょっとよく理解できないんですけど。まぁそれは置いておいて、もしそういう分類をするんだったら、僕は今言ったようなアイドルが割と入りやすいんじゃないかなって思っていて。で、さらにひとつ思っているのが、対立的に主観的なアイドル、なんか対立的主観的なアイドルがいるんじゃないかなと思って、これはどういうことかというと我々と直接は感情が重ならないけど、我々の感情に対してテーマを投げかけてきて、それによって我々が気づかされるアイドル。例えば芹沢あさひさんとか市川雛菜さんとかみんながちょっと内面、というか背けて来たことにズバっと言われてウッと思わされるようなことを言うアイドルの人たちがここにいるんじゃないかと思っていて。ちょっと長くなっちゃったんですけど、まぁ大枠で三つアイドルを分けられるんじゃないかなってことを話したかったです。ただまぁこの分類は人によって結構ブレると思っていて、例えばさっき対立的主観と主観のアイドルは入れ替わるというか、芹沢あさひに感情移入する人は多分黛冬優子のこと、特にイベントコミュとかの黛冬優子のことは全然理解できない、というか「へーそんなこと思う人もいるんだ」ってことを気づかされる対象だったりするし、別に杜野凛世さんに感情移入する人も全然いると思うし、という感じなんですけど、それはともかくとして、それぞれの個人の中にアイドルの三つの型があるんじゃないかなということを言いたかった、そういう話ですね。

ーということは、視点の位置と特徴によって分類が可能で、箱の内容物はともかく箱自体については一般性があるんじゃないかなという話が省略部分というわけですね。

そうですね。あんまりメインじゃなかったので省略しました。

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・今後の展望

ーこの発表を受けて、今後これ自体を発展させていく、あるいはこれを踏まえてなにか別のものを作り上げるビジョンというのは決まっていますか?

決まってはいないんですが、一応発表で最後に言わせてもらったのが、結構シャニマスのPがアイドルに向き合っているときに喋っている方法とか内容とかが、実際の心理カウンセラーの方法と似ているなぁということがいくつかの方面で言われているみたいで、だからそれが実際にどうなのかなということを確かめてみようかなと思っていたり思わなかったりするのと、僕が今回やった発表は結構証明論的にやっていったというか、それぞれのゲームのなかにあるゲームの要素を分析的に、メタ的に見ていった発表なんですけど、僕の発表を聞いてくれた知り合いの方がそれに対してまた別の方向から考察してくれて、現象学的な、多分現象学なんですけど、そういう視点から考察してくれて、そういうもうちょっと意味論的な方向から考えるのもいいのかもしれないなと思ったりはしています。まぁほんとに思っているだけなんですけど。

ー別の方向から考えてみようみたいなことがあるわけですかね。

たぶんそんな感じですかね…

 

・犯行動機

ー犯行動機として、我々は犯行という言い方をするのですが、どうしてこの発表をしようと思ったのか、というのを簡単に教えてください。

犯行動機というか…理由は一番最初にシャニマスをやってwingを一周してもう思ったことなんですけど、一番最初に僕は黛冬優子さんをプロデュースして、その中のコミュで冬優子が撮影のカメラマンさんから君の笑顔は偽物だと言われてブチギレるっていうすごい重要なシーンがあるのですけど、まぁ重要なシーンというと重要じゃないシーンがあるみたいで語弊があるのですけど、まぁそれはおいといてすごく重要なシーンがあって、そのシーンで僕もすごいイライラさせられたというか、なんでこんなに頑張っているというか、頑張っているというとちょっと安っぽいんですけど、なんというか冬優子はコミュの中で「こっちはちゃんと仕事してんのにワケわかんないこと言うなっての!」っていうセリフがあるんですけど、ほとんど同じようなこと思ったんですよね。「いや冬優子はやれって言われたことやってんのにわけわかんないこと言ってんじゃねーぞ」みたいなことを思ったら、ほんとに言ったわみたいな感じとかあったりして、それでそこに至るまでは基本的に僕はシャニマスのことをPの視点から見ていると思っていたんですけど、ゲームシステム的にそうじゃないですか、Pの視点に立ってシャニマスやってるのになんで僕はこの場面でPの気持ちにならなかったというか、「落ち着け冬優子」ってなるんじゃなくて、「わけわかんないこと言うな」っていう、そういう冬優子と同じ気持ちを背負わされたのってなんでなんだろうと思って、それが主な動機ですよね、直接的な。

ー何か視点の浮動を感じとって、それはちょっとおかしいんじゃないかというところが始まりだったわけですね。視点が浮動するというのは、恒河沙さんにとってアイマスがどこに位置するかによってその意味が変わるような気がするんです。恒河沙さんにとってアイマス世界って現実世界の延長線上ですか?それとも別ですか?

僕の中だと別ですね。全く別の世界というか、別の世界…まぁでも別の世界といった方がいいんですかね。僕は基本的に創作物を見るときは誰かの視点から見るその世界みたいなものを楽しんでいるので、まぁ正直言ったらアイマスは設定上は現実世界と遜色ないというか、大差ないというか、別に変な魔法が使えるとかそんなことはないので、別に現実世界と同じであろうとなかろうと問題はないんですけど、どちらかというと自分とは違う視点から見た誰かの世界を見ている、そんな感じなんですかね。仮に現実世界の延長だとしても、しなかったとしても、それは僕にはわからないけど特にシャニマスは、シャニマスというかアイマスが延長であろうとなかろうと僕には見分けがつかないんですけど、僕とは違う誰かの視点から見ているというが僕の中で固まっている、固まっているというとなんかアレですけど、まぁそんな感じですね。

 

・私的P観

ー全く別の世界に精神というか感覚器官だけを飛ばしているよ、という風に認識をされているんですかね。最後の私的P観の方にいきたいと思います。恒河沙さんにとってPとはなんですかということをお聞きしているのですが、最初の方で担当もいないとおっしゃっていて、担当と推しの定義というのもパロール*²というよりはラング*³的な回答を頂いたじゃないですか。その辺も含めてどういうPの見方をされているのかを教えてください。

まず、Pという人間は僕が思っているのは、少なくともシャニP(シャニマスに登場するキャラクターとしてのプロデューサー)は画面の向こう側にいて我々に視点を提供してくれるよくわからない人間だと思っています。なんていうんですかね、担当とか…今Pの話ですよね。さっき言った通り、僕はPはただのキャラクターとしか、ただのキャラクターというと雑に扱っているみたいですが、それは別にアイドルと等価なキャラクターとしか思っていなくて、別に私がPとかは特に今のところは感情として持ってないというのがあるんすかね。

恒河沙さんはシャニマスの世界については観測以上のことはできないという感覚なんでしょうか。

そうですね。主にそんな感じというか。

アイマスは別の世界だとおっしゃっていたのですが、シャニマスって実在性に富むという評価がなされているように感じます。そことどのように折り合いをつけていますか?

折り合いというか、単純にパラレルワールドだと思っている感じですかね。あの世界に僕がいてもいなくても出会うことはないので。アイドル達と接点を持つことは出来ないので。まぁなんか、そこらへんは正直特に何も考えずにやってるんですけど。そうですね、パラレルワールド、僕にとっては別に創作物の世界は整合性さえあれば割となにしてもいいと思っているので、なんか逆に整合性がないと僕は一気に冷めちゃうというのがあるんですけど、そういう意味でシャニマスは現実世界とほとんど同じ設定であれだけのことをやっているからすごいなと思いつつ見させてもらっているというか、まぁそんな感じでいいですかね。

ー一番最初に友人から布教された際にかわしたとおっしゃっていましたが、理由を教えてもらってもいいですか?

一番の理由はその友人がシャニマスを「ギャルゲー」として勧めてきたことでしょうね。僕は創作物を楽しむときはその世界全体を楽しみたいというか、あまり特定のキャラをどうこうするというようなことにはあまり興味がなかったので遠まわしに断ったというか。あとは僕の経験ではアイマスをやってる周りの人間はほとんどデレマス、というよりデレステをやっている人間だったので、そういう偏見もありましたね。

ーここまでインタビューをしてきて、「探究*⁴」より「論考*⁵」的な香りを感じたのですが、言語に対しての強い厳密性の要求というか、写像関係への忠誠はどこが原動力になっているのでしょうか?

なんというか答えるのは結構難しいんですけど、創作物に何か強い感銘を受けたときの、その強い気持ち自体はすごい曖昧じゃないですか。けれどもその曖昧な気持ちを表現するならその分最大言葉にするときに気を付けないといけないというか、うまく伝わらないというか。それで語れる部分を語って、それを尽くして最後に残る部分が、それこそ語り得ないことが示されるといった感じですけど、あなたが心の底から好きなものじゃないんですかって思うんですよね。それを例えば全部「エモい」の一言なんかでまとめてしまったらもう何がなんだかわけわかんなくなっちゃうわけで、僕はそういうことをしたくないというか、僕が好きだと思ったものを、できるだけ正確に表現したい、それが作品への誠意なんじゃないかと思っているようなところがあると思います。

ーなるほど、ありがとうございます。

 

ー(朧灯)先ほど、推しとして灯織の名前を特に挙げられていましたが、それは何故なんですか。また、「彼女を担当としている」とならないのはどうしてでしょうか。

推しとしてあげた、灯織には「コミュ障」みたいなキャラクターがあると思うんですが、彼女の身振りや言動というのがどことなく本当にいる「そういう人」に見えた。自分もその毛が少しあるのでそれもあって応援に力が入ってしまいます。ただ、シャニマスをプレイしていると23人みんなをプロデュースするので、23人みんな応援したくなるし、誰かを取立てて贔屓したくないという気持ちになります。担当となると、好きだから担当だ、というのは違うかなと感じています。担当だから好きだ、という話ならわからなくもないですが、プロデューサーという「仕事」である以上、好きという感情が、担当するという行為の必要条件にならないと思うからです。ただ、その感情が担当を名乗るのに値する条件だとしても、私は「自分がアイドルの担当である」という気持ちの選択をしよう、という思考に自分で誘導しなければ、ことさらに誰が担当だ、という気持ちにはならないです。また、担当と名乗るのには、積み重ねが足りないっていうような意識もなんとなくあります。担当という言葉は僕の中ではかなりオタクの言葉だと思っているんですが、僕自身はオタクというものには到達し得ないという意識や、担当というまでのアイドルとの蓄積がない、名乗るのは烏滸がましいという気持ちがあります。私の思っている「オタク」というのは、かなり「鍛えられた」というような、ある種特別な存在だと思っていたので、中高時代に身の回りにいた「ひたすらにコンテンツを消費していくオタク」に辟易していました。それが反面教師になって、その世界が好き、そのキャラクタがーたちみんなが好きでいいじゃないか、誰か一人選ばなくていいじゃないかと思ってしまいます。

 

ー(Lotus)ゲーム中以外で恒河沙さんがアイドルの存在だったり気配だったりを感じる瞬間はありますか。

タルパ*⁶とかあるじゃないですか、そういうのを考えることはないんですけど、例えば外である出来事に出会ったときにあのアイドルならこういうことをしたり言ったりすることは想像します。自分の中で解像度の高い妄想としては、黛冬優子と握手してもらった経験が夕飯中に降ってきたんですよ。ホーム画面見てもらえばわかる通り、冬優子は手が綺麗なんですよ、白くて指が長くて綺麗で。陶磁器みたいなんですけど血が通った温かさがあるんですよ。ぎゅって握られる握手ではなく、フワッとした感覚が手に残ったんですね。

 

・注釈

*1:L.ウィトゲンシュタインの「哲学探究」で主に提示された概念。言語をその限界を超えて運用することで陥る「哲学的病」は、すぐ近くに問題の解決法があることを認識できなくなる。そういった人々に「治療」として解決法の方向を示す、いわば「蠅取り壺の蠅に出口を示す」ということ。

*2*3:近代言語学の父と誉れ高いF.ソシュールが考案した言語の区別。ラングは社会に広く認識された言語規則を指し、パロールはその規則に概ね従いつつ個人で運用される言語を指す。なお、ラングが一方的にパロールを規制するわけではなく、その逆もありうることは注意。

*4*5:共にウィトゲンシュタインの著作。「論考」は「論理哲学論考」、「探究」は「哲学探究」を略したもので、それぞれ前期ウィトゲンシュタインと後期ウィトゲンシュタインを代表する。ウィトゲンシュタインはその哲学人生において前期と後期では一世と二世と(冗句的に)称される通り、その思想には変化が見られる。それがどのような変化か、またそれぞれがどのような思想なのかを語る紙面はないし、資格もない。筆者も完全に理解できていないからである。

*6:チベット仏教から神智学へ輸入された概念で、イマジナリーフレンドの一種とされる。

 

・取材後記

私なんかは紛い物で、本物の狂人を連れてこようと学会を勧めたわけですが、想定以上の巨人を放ってしまったかもしれない、そう思えるインタビューでした。あと最後の質問で爆笑したのは許してください。


編集部多忙のため、次回からは月刊連載になります。申し訳ありませんがご了承ください。

次回の公開予定は後日ハッシュタグ#狂気の弁明でお知らせします。


(文責:温泉卿)

 

 

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狂気の弁明#8

学会発表者の狂気に迫るインタビュー、第八回は喜多見柚に量子的振る舞いを見出されためろんソーダさんに来ていただきました.。
Twitter:@melonsodaV3
ユズカレンダー2019内論文:https://tueszzz.info/december-with-yuzu-2019/article19-EX.html


アイマスとの出会い

―(Lotus)ではめろんソーダさんお願いします。

はい、よろしくお願いします。

ーまずアイドルマスターというゲームコンテンツそのものについての出会いを教えてください。

はい。多分一番最初ってことになるとアニマスが最初で、ただアニマスで入ったんですけど当時の持っているゲームハードとかの兼ね合いで765に直行はしなくて。

そこでシンデレラの方にいって、当時まだ765ASもガシャに出てたりとかしたのでそれで入ったんですけど、結局そこでシンデレラに行って今に至るみたいな感じです。

ー今やってらっしゃるゲームはモバマスだけですか。

今やってるのだとモバマスデレステと後シャニマスもやっているので、そのくらいですかね。ミリシタも入れてはいるんですけど、まだ担当がこの子だと決めてないので、そこまで真面目にやっているわけではないというか。

ーなるほど、となると例えばミリシタとかシャニマスとかはサービスインからやっていた感じですかね。

そうですね。ミリシタとシャニマスはサービスが始まってから携帯には入ってるかなと思います。シャニマスはパソコンでできるので、あまりスマホでやらなかったりはしますけど。

 

・担当や推しについて

ーありがとうございます。では次に担当と推しについて、まず担当アイドルは誰か教えてください。

はい。担当は喜多見柚、中野有香水本ゆかり塩見周子、乙倉悠貴がシンデレラで、あとシャニマスで園田智代子を担当しています。

ー推しという存在はありますでしょうか。

推しってなると難しいんですけどどうかな...小糸ちゃんとかは推しかなと思いますね。

ー担当と推しの違い、例えばそれこそ智代子と小糸に対する主な感情の違いと言うか、そういったものはありますか。

智代子に関してはコミュを読んだのが自分のシャニマスのゲームのプレイ中にばっちりなタイミングで来てそれで担当だな、ってなったので。だから担当する動機がバチっとあったから担当になったのかなと思いますね。でも小糸ちゃんはまだよく知らないって部分が結構あるので、シャニマスに関してはその智代子のコミュを読んだタイミングがめちゃめちゃ良すぎたせいでこれ以上担当が増える気がしないというか、そこのハードルがかえって高くなっちゃってるというか、そういう感はありますね。

シンデレラの場合は、最初から有香とゆかりの複数を担当してたんでそこに対する心理的なハードルはあまりなかったんですけど、逆にシャニマスは一人を担当していた時期が長いので事務所内に複数の担当を持つことに対する心理的なハードルがやや高めみたいな、あとまあ自分が介入しなくてもまあいいかなみたいなそういう気持ちもあったりして。スパッと答えるのは難しいですね。感覚的にはそんな感じです。

ーこれも感覚的にで構わないですが、担当って何って言われたらなんて答えます?

でもやっぱり自分が担当しているアイドルにはやっぱり少なからずもうちょっとあるやろっていうか、まだこんなもんじゃなくないっていう気持ちが多少なりともある気がしますね。なのでもうちょっと相応しいステージがあるんじゃないかってそういう気持ちがあると担当というワードのチョイスになりやすいんじゃないかなっていう気がします。

 

・発表要約

ーありがとうございます。では続いて発表内容を伺いたいと思うんですが、資料の形で発表されました量子柚学についてのお話をお聞きしたいです。

そうですね、あれに関してはそもそも何で書こうかっていう話をすると、設定的にゆらぎがあるというかどっちやねんみたいなところがスタートで、柚って15歳なんですけど15歳って中3の15歳もいるし高1の15歳もいる。ただ中学生と高校生って結構違うと思うので、同じ年齢だったとしてもそこで見えてくるものが違うかなって思っていたんですけど、片やシンデレラのアニメのおまけのボイスドラマですか、NOMAKEだと女子高生って表現されていたりとか、しんげきのアニメの設定資料集だったかな、には女子高生ってちゃんと書いてあったと思うんですけど、ただデレステのスプスクのイベントの時には中学生みたいなことを言っていて、どっちやねんみたいなのがスタートで、どっちやねんと思ったしどっちかにしてくれやていう気持ちは勿論多少はあるんですけどただ、それは両方でも何とかこう説明を付けると言うか辻褄を付ける方法はあると思って。どっちも正しいとしたらどうなんだろうっていうところからスタートしてて、どっちも正しいとしたらどっちもあるってことだなって思って。たまたまその時とっていた量子力学の入門の授業でその時に両方存在しうるというか両方存在している可能性があるんだけれども、人間の尺度ではそれをどっちかと明確に区別することはできないみたいな話があって。

ーなるほど、その資料に示された結論についても軽く触れていただけいてもいいですか。

そうですね、結論としては中学生か高校生かみたいな言っちゃえば矛盾している部分はあったんですけど、それは見たいものの方でいいんじゃない、個々人が見たい方でいいんじゃないかなって思ってて。その方がこう、人間ってやっぱりその時はそうだったとしてもまたそのシチュエーションとかその時の気分と言うかコンディションによって思うことが違うことってやっぱりあると思うんで、その時によって違うっていうのは人間らしさみたいなところが逆にその方があるかなと思ってて、中学生と高校生を気分次第で変えられるとめちゃめちゃ困っちゃうんですけど、実際に具体的にこの事象で矛盾があるからってことじゃなくていろんな見え方があったらいいんじゃないかなみたいなところでどっちでもいいんじゃないですかっていう結論にしたくてそういう議論を引っ張ってきたみたいなところはありますね。

 

 

・今後の展望

ーでは次の質問にいきたいと思います。今後の展望ですね。この発表がなされて結論までまとめられたと思うんですが。

はい。

ーこの後さらにちょっと手直ししたりだとか、もしくは拡張したりだとか、そういう目標とかありますか。

どうなんだろう正直結構一発ネタっぽいところがあるので、これから本格的にそこを使っていくと多分僕の知識の問題もあってどっかで頭打ちになるので。

そういう論理的に、論理的というか量子力学としてめちゃめちゃ掘るってよりは学術論文的なフォーマットを使って遊ぶっていうことが、僕としてはどちらかと言うとメインだったので、その方式で同じようなフォーマットを使って色々書いて学会誌っぽい感じにする遊び方の方がいいかなと思っていて、あんまり深入りすると僕の知識の問題で、正しく知れば「いやこれ全然ちゃうやん」って多分なると思うし、よく知らないからこそこういうことを適当に適当なこと言えてる部分があると思うので、深く掘るっていうよりは幅を広げていった方が遊びとしては楽しいのかなと思っております。

それから、これとはまた別の観測者効果の話で、人間は光を観測する視覚というか光の反射に頼っているという時点で量子の動きというか光によって物体が動いてしまうゆえに場所が正確にここだと決めることが出来ないという話があったと思うんです。人間は物を観測するために反射してくる光を見て物を捉えてると思うんですけど、その光が当たることによってその物質が移動しちゃってるから、その部分のゆらぎは絶対に許容しなきゃいけないみたいな、はっきりしない部分があるみたいな話をたまたま知って、いわゆる解釈って実はそれに近いんじゃないかと思ってて、そういうところをうまく整理できたらいいなと思ってます。

ーおぉ、なるほどありがとうございます。

 

・犯行動機 

ー次に犯行動機を伺っていきたいのですが、まず一つちょっと気になったことがありまして。先ほど発表内容について伺ったんですが、両方正しいと仮定すると量子力学を持ってくるっていうその手段に繋がるわけじゃないですか。

はい。

ー何故両方正しいとしたかったというのがちょっと気になっているんですよ。

なんだろう、所謂解釈違いって最近結構ワードとして出てくることがまたちょっと増えてきたかなと思うんですけど、僕はあんまり解釈違いっていう言葉が好きじゃなくて。

ーはい。

それはなんでかって言うと、多分それもさっきの話と似てくるんですけど、人間絶対こうみたいなことってあんまりないと思ってて、なのでこの時はこうだったけど今はこうだから別の答えになるみたいなことってままあると思っていて、なので今までこう言ってたんだからこうならないのおかしいじゃんみたいなそういうのってちょっと勿体無いなって思ってて、可能性を狭めちゃってるんじゃないかなっていう気がしてて、なので設定的には中学生なのか高校生なのかくらいは統一してくれよとは正直思うんですけど、でもそういうちっちゃいところでも両方あった方が可能性が広がって面白いんじゃないかなっていう意識が根底にあるんで、じゃあどっちもあってるって事にすればいいんじゃねって思ったのが始まりというか。両方あった方が両方のパターンを作れるので美味しくない?という単純にそれだけの話なんですけど。

ーありがとうございます。これは答えていただかなくても結構なのですが、専門で理科をなされている方ですか。

一応大学で機械力学やっててそれの必須と言うか必修の中に量子力学のさわりをやるっていうのが入っていたのでたまたま手元に量子力学の入門の教科書があったからこれやってみっかなぐらいな感じでした。なので専門に量子力学をやっているってわけじゃなくてたまたま触れる機会があったくらいですね。多分本当に真面目にやっている方はこういう使い方はしないと思うので。

ーなるほど、ちょっと気になったのがあえてゆらぎを楽しむと言うかどっちでもいいじゃんっていうスタンスが逆に理科っぽくないだと言うか。理科を使うっていうのも、自分もアイマス学会系列で理科を使ったことがあるのでなんとなくやりたくなる気持ちは分かるんですけど、敢えてそこを一般化しようだったり明確にしようだったりではなくゆらぎのまま楽しもうというスタンスが面白いなと思ったんですが。なんでしょうか、面白い方だな、と。なぜどちらか決めなかったのか、と言うとさっきの答えになってしまいますね、何故かなと思ったもので...

自分が学校でなんかやってる時はやっぱり答えのある作業の方が正確・明確に答えがあるほうがいいなって思うんですけど、人間のいいところってそういう答えが一つでないところだと思っているので。自然は、というか科学は答えがわかっているというか学校でやっている作業とか自分のやってる仕事としては答えは一個の方がありがたいんですけど、ただ趣味なんで色々あってもいいのかな、みたいな。その方がリラックスできるというか気疲れしなくていいかなって。遊びだからって言うところが多分あるとおもうんですよ。これが多分仕事だったらいや答え決めてくれよって思うんですけど、遊びだからそれでもいいんじゃないっていう意識があるんだと思います。

ーありがとうございます。個人的にはすごい重要だと思います。たくさんいるプロデューサーの中でのめろんソーダさんの立場を明確にする上ですごい重要な観点なんじゃないかなって感じました。温泉さんあたりが多分突くと思います。

(笑)。

 

・私的P観

ー最後にプロデューサー観、アイマス観という物を伺っていきたいのですが。

はい。

ーどこから聞こうかなこれも…まず一つ、これはTwitterでオファーをかけさせて頂く時にも申し上げたのですが、観測状態Aとしての中学生柚がいるわけじゃないですか。同じく観測状態Bの高校生柚がいて、観測してない状態の柚の何て言うか過渡期みたいのが存在するじゃないですか。

はい。

ーAからBになる間ってどんなものだと思いますか。観測できないからしゃーないって言ってしまったらそれまでなんですけど、どんなものだとお考えでしょうか。

あーそうですね、要するに柚の元になるイデアみたいなものが多分あってそれに光を当てることによってその姿を、例えばカードのイラストとかセリフとか曲とか色々な形で出てくると思うんですけど、元は一個あるんですけどただそれって見方が多分色々あるんで、その光の当て方だと思うんですね。ただ僕からは僕の立っている位置からしか光を当てられないわけじゃないですか。

ーはい。

ただ、僕じゃないその立ち位置が違う人から見る光の当て方だとまたちょっと違う姿が見えてきますよね。だから移り変わるっていうよりは元があってそこをどういう切り口で見るかだと思うんですね。それが正しい正しくないじゃなくてそれはそこの角度から見たらそう見えるんだから正しい正しくない以前にそういうもので、だから、それは移り変わるというよりもそれをどこから見てるかっていう捉え方の方が近いかなと思っています。だから解釈は幅があっていいと思ってるし、そういうものかなと思います。

ーちょっと飛躍しすぎて怒られるかもしれないんですけど、その考え方ってそのなんだろう...アイマス世界と言うか、まあアイマスの空間ですかね。そういう実体があってそれに光を当てて観測して各プロデューサーが見えているものがその人が今見ているアイマス世界だっていう感覚であってますかね。

はい、まあその人には多分その人の世界があるんで、それは正しい正しくないじゃなくて幅だと思うのでその人なりの見え方があるのが良くて。特にシンデレラなんかはプロダクションの名前から自分たちで決められる訳なので、そういう解釈の幅を持たせて、遊び方はまあどういう感じでもいいんじゃないみたいな感じでこっちにぽいって投げてきてくれていると思うし。それはある程度公式の供給としてこういうことがありました、こういうことがありました。っていう断片は色々降ってきてはいるんですけど、それをどうつなぐかはこっちの遊び方次第なので。それはそういう遊び方をしていいって言われてるコンテンツなので、そういう遊び方をしたほうが楽しいのかなっていう感じですね。

ーもう一つ今の話から気になったことがあるのですが、となると公式っていうものはそのアイマス世界そのものですか。それともその光が当たっている側面ですか。

あー...そうですね。

ーコピーしてきているのか、それとも光が当たっている部分の写真を撮ってるのか、どっち?と言われたらどうでしょうか。

でもどっちかっていうと、確かに公式の供給は根源っていうかイデアに近いとおもってて、それをどう読むかによって多分こっちの...公式の供給によってこっちの心がどう動くかっていうのはこっちの勝手というか、だと思うんですけど、出てくるものに関してはやっぱりどちらかと言うと根源に近いのかなと思います。ただやっぱり作っている例えば曲とかも作っている人がいるわけでそういう人にしてみればその人の解釈のフィルターを通った上で出来ていると思っているのでそこはちょっと難しいですけどね。公式の人の書いているのが全てだって言っちゃえばそれまでなんですけどそれも公式も一人でやっているわけではないのでそこは見え方がどうかというところかなとは思いますけど。

ー公式は根源に近い存在、ですか。それは公式が発した情報が根源に近い、という事でしょうか、それとも私たちが公式から受け取る情報がという事でしょうか。

おそらくそれ(公式の供給)は根源なんですけど、根源からの光を受け取るわたしたちの方の問題で、どうしてもそれを解釈してしまうので、公式の供給が本当に根源なのかを検証することができないんですよね。なので、”おそらく”公式の供給は根源だと思っています。

ーありがとうございました。

 

ー(温泉卿)先ほど公式の供給はイデアに近い、とおっしゃられていましたが、イデアたる公式の供給の範囲について詳しくお聞きしてもいいですか?

ここでいうイデアの部分っていうのは、アイドルという人間そのものになると思いますが、公式から発信されているもので、ゲーム内でそこにアクセスすることができて、そこにアイドルたちが出ているのであれば(たとえば姿が映り込んでいるだけだったりしても)、それは公式の供給になるんじゃないかなと思っています。

ー公式の供給がイデアと、公式の供給の中にイデアがある、ではかなり差異がありそうですが、どちらになりそうですか?

公式の供給というものが、わたしたちに発信される前の原点の位置にあるものであればイデアといえるでしょうし、わたしたちが「これが公式の供給だ」と感じたものであれば、いわゆるイデアの似像ということになるんだと思います。

 

・取材後記

理科的な思考傾向をしているのかなと思えばそうでもなかったり、量子論のお話かと思えばイデアアイマス学会頻出単語)というワードが飛び出したりとインタビュアーも驚かされっぱなしの回でした。そろそろ「公式」の定義を考える必要があるかもしれません。

 

次回は恒河沙さんにお話をお聞きします。公開は【 3/20 】予定です!

 

(文責:Lotus)

 

 

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狂気の弁明#7

学会発表者の狂気に迫るインタビュー、第七回は北九州でアイドル×車というテーマの発表をなさった藤河ひとひさんに来ていただきました。
Twitter:@Hitohi_Fujikawa
Pixiv:https://www.pixiv.net/users/28065511

 

アイマスとの出会い

―(温泉卿)じゃあ始めていこうと思います。早速なのですがアイマスとの出会いについて教えてもらってもいいですか。

はい。僕は元々艦これの方にいまして、艦これでpixivの方を漁ってるときに関連項目の一つとして小早川紗枝さんのイラストが上がってきて、それで興味を持ったのが初めてになります。

―なるほど。

そこから当時ちょっと携帯が貧弱だったのもあってアイマスっていう物があるのは知りつつ何も触らずにいたんですけど携帯の機種変のタイミングでアイマスのミリ、シアターデイズと、あとシンデレラのスターライトステージを入れて、確かそれとほぼ同時期にシャニのサービス開始があったので3ブランド一気に始めた形になりますね。はい、出会いとしてはこんな感じです。

―その後の変遷を教えてもらってもいいですか。

はい。最初はシンデレラから入ったのもあってミリオンに触れることはあんまりしてなかったんですけど、色々と曲を聴いていくと、シンデレラの曲ってこういう言い方したら何ですけどシャンシャンしてるじゃないですか。よく言えばものすごくアイドルらしい曲ではあるんですけど。

―はい。

それがこういまいち刺さらなかったと言いますかね。

―あーなるほど。

その関係で色々聞き漁っていってミリで確か一番最初に聴いたのが(ミリシタを)始めた当時が『花ざかりWeekend✿』のイベントの時で、その曲を最初に聴いて、あとは『瑠璃色金魚と花菖蒲』、白石紬ちゃんのソロ曲ですね。あれも最初のころに聴いてあそこら辺から徐々にハマっていって、多分一番究極落ちたのは『プリムラ』だったはずです。

―なるほど。

だからミリオンの方には曲から落ちたっていうのが正しいですかね。

 

・担当や推しについて

―わかりました、ありがとうございます。それでは、担当について教えてもらってもいいですか。

担当は、以前アイマス学会の方では各ブランドから3人紹介させていただいたんですけど、今は桜守歌織さんですね。ミリオンのそちら一人になります。

―それでは推しの方々というのはどうなりますか。

推しと言いますとミリオンの北沢志保さんですね。基本的にはその子になります。気になる程度を推しに含めていいのかちょっとわからないですけど、気になるっていうレベルだとシンデレラの方の関ちゃん、楽園を歌ってる子になりますね。

―ありがとうございます。今担当と推しというものを聞いてきたんですけども、担当や推しにそれぞれの定義の差みたいなものってありますか。

こちらは完全にあれなんですけど、こう客席側から応援したいのかそれともなんだろう、舞台袖から応援したいのかというところが違いますね。かなり違います。俯瞰して応援したいか一緒になって応援したいかみたいな。

―それはひとひさんの立ち位置が違うだけ…

立ち位置が違うだけです。盛り上げたいか、それとも盛り上がりを作りたいかみたいな。

―立ち位置が違うと見るアイドルの側面というものも変わってると思うんですけど、そこにはどういう違いがありますか。

それこそ単純な偶像としての彼女がいるっていうのが推しに対する僕の見解で、逆に担当となると人間そのものとして見ます。違いはそこぐらいですね、はい。

 

・発表要約

―なるほど、わかりました。では次に北九州での発表の要約をお願いしてもいいですか。

北九州での発表に関しては、僕がミリオンアイドルと各人と自家用車についてという題で発表させていただきまして、そもそも18歳以上のアイドル達っていらっしゃいますけどその方々はやっぱり免許証くらいね、流石に持ってるでしょうねという事で、じゃあ自家用車くらい持っててもまあ稼ぎあるしおかしくないんじゃないっていう形で作っていって、その関係でやっぱり色々キャラクターごとにその車種を設定して発表させていただいた形になります。

―その選定基準というものは何かあったんでしょうか。

選定基準に関しては学会の方でも発表させていただいたんですが、隣に立った時にアイドル達が映えるのかどうか、車ではなくアイドルの方がちゃんと映えてくれるのかどうか、そして彼女たちが選ぶかどうか、そして安全かどうかの三観点を主に動かしていきました。

 

・今後の展望

―では次に今後の展望の方についてお願いしてもいいですか。

発表したときはまだ十数人の成人組に限って発表を行わせていただいたんですけど、今丁度それより下の子、17歳以下のミリオン組ですね。765プロダクションに所属している52人のうちの17歳以下の方々の各自の自家用車についても考えさせていただいています。こちらは、想定としてというとあれですけど彼女たちが18歳にその場で成長したと仮定して考えています。流石に10年後くらいの自家用車を想像できないのでですね。

―そうですね、それは難しいですもんね。

そんな感じです。

―今後更にアイドルに適したというか良い車を選んでいく上で北九州での発表とちょっと変わったなみたいな所ってありますか。

そうですね。当時まだアイドル達に対して深掘りが効いていなかったっていうところもあったりすると思うので、そういった子たちに対してやっぱり深掘りをしていくにつれてイメージですとか彼女たちが重きを置くものというものが判明して、それが変わっていったり車種が変わっていったり、あとグレードですとか色ですとか、そういったところが変わって行く事はあると思います。さらに言えばこれ現実世界に即したものですので車の方が例えばモデルチェンジをしたですとか、逆に言うと車そのものが廃止になったりとかそういうこともありますから、その場合はまた新しい車を選ばなきゃいけなくて、という事も行っていきたいと思っています。

―わかりました。もしよければ変わった例を一例だけ教えてもらってもいいですか。

はい。一番大きく変わっているのは発表当時テスラのモデルSとして発表させていただいた徳川まつりちゃんですね。彼女に関してちょっと当時全然深掘りをしてなかったのでもう単純なイメージから想定させていただいたっていうのがものすごく申し訳ない限りなんですけどそれが今は深掘りをした結果フランスのDSオートモビルズさんが出しているDS7クロスバック(画像参照)という車に変わっております。

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画像1 DS7クロスバック

―なるほど。なぜそう変わったのかは今後の発表でお聞かせいただくことにして。

どっかでリアル学会があったら参加するかな。

 

・犯行動機 

―期待しております。では犯行動機の方に移らせていただきます。この発表をされた動機、或いはアイドルに適した車を選ぼうとした動機みたいなものってどういう物だったんでしょうか。

まずちょっと参加動機の方に関してお話させていただいてもよろしいのかな。

―はい、お願いします。

参加動機に関しては多分そのアイマス学会そのものの発端っていいますかね、札幌が多分一度あったと思うんですけど、その札幌のツイート事態をリアルタイムでちょっとタイムラインの方で拝見をさせていただいておりまして、そのツイートがものすごく面白くてですね、こんな面白いものがあるんだったら参加したいなぁ、どこかそれこそ、流石に当時仕事はしてたんですけど、まあちょっとお財布の関係上北海道まではちょっといけないかなというのがあったので、東京か大阪ぐらいだったら行けるかなと思っていたんですけど、それが丁度小倉であるということで、あーじゃあもうそれは行くしかないじゃないという事で参加させていただきました。

―わかりました。

続いて発表そのものの動機の方ですね。こちらに関しては元々は発表の主軸として据えさせていただいた百瀬莉緒さんとプジョーの508(画像参照)を挙げていたんですけど、そちらの車に関しては元々ちょっとふわっと考えていたっていうのがありまして、学会が開催されるってことを知った時点ですぐ浮かんできたのがその百瀬莉緒プジョーの508、でまあそれが自家用車という風に僕の中で想像が出来ていたので、それならもういっそのこと成人組全員分作ったろやないかいという事で全員分作りだしまして、それでスライドに纏めて発表させていただいたという形になります。

      ↓当該ツイート

 

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画像2 プジョー508

―ありがとうございます。ちなみにその車とアイドルというのを組み合わせた動機っていうのはどういったものになるんでしょうか。

そうですね、元々僕が車が大好きなんですね。当然の如くですけどミリオンのアイドル達も大好きなわけです、ですからまあ大好きなものと大好きなものをかけ合わせれば最強になる最高の方程式の下でやらせていただきました。

―わかりました。そうですね、発表でおっしゃられていた選定基準のほかに、裏に隠された選定基準があるんじゃないかという気がしていたんですけれども、そういうのってあったりしますか。

そうですね、ベースとなる物はやっぱり発表で(画像参照)ひとつめとして挙げさせていただいたアイドルが主役になるっていう事ですけど、アイドルが隣に立った時にそれぞれしっかりと映えるものであるというところが大きいです。先ほどもお話をさせていただいたんですけど、CMに抜擢されるレベルのそぐい方を備えているっていうことが大前提ではないんですね。当然やっぱり彼女たちのイメージですとか見た目から来るものに対してぴったり合うものっていう物が当然出てくると、CMとしては使われると思うんですね。ただ当然それはやっぱり順位付けがされるわけです。まあ五位くらいまである程度あったとして、その中でじゃあそれぞれに対して彼女たちの立場に立った時にどこに重きを置くか、人によっちゃデザインかもしれませんし人によっては名前かもしれません。内装かもしれませんし、あとはユーティリティですね、実用性。また人とのつながりを重視する子とかだったら何人乗れるかとかそういうところも考えるかもしれません。そういったところまで包括的に考えたときにそういうところにポイント付けをしていって一番ポイントが高いものというものが彼女たちの愛車そのものになるんじゃないかなと思って考えております。

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画像3 スライド

―そのアイドル、偶像にあった車ではなくてアイドルさんの人格を表現できるような車を選定したかったといった感じですかね。

それに近いです。

 

・私的P観

―ありがとうございます。では私的P観に、先ほど担当と推しは見ているアイドルの側面が違うというお話をされていたじゃないですか。これはひとひさんの中でプロデューサーさんとファンというものが明確に区別されていることの証左なのではと思うんですが、これってひとひさんがssを書かれていることとも関係していたりはしますか。

そうですね。多少は関係はしてくると思います。ちょっと僕の方でもよくわからないんですけど多分関係はしてくると思います。

―因みに、ssを書くときってアイドルマスターの世界というのはどういう風に認識されていますか。

現実世界ですね。

―となるとアイマス世界という言い方はおかしいですね。現実世界の中にアイドルがどっかにいると。

そうですね。僕らがこうやって今生活をして、これだったら今収録ですね、もしている世界のどこか片隅でやっぱり彼女たちは寝てるかもしれませんし自主練をしてるかもしれませんし、もしくは深夜のロケとかがやってるかもしれない。そんな感覚で描かせていただいております。(編集註:録音は23時過ぎに行っています)

―とするとss作品に出てくるプロデューサーさんというのはひとひさんの分身だったりするんでしょうか。

では、ないです。

―ないですか、なるほど。

ただ、全くないとは言えません。全く違う存在であるかと言われるとそれは違いますね。

―ひとひさんではなさそうだった誰か。

そんな感じはしますね。僕がそもそも書いてる作品ていう物がPドルと言われる作品でして、プロデューサーとアイドルの恋愛ものというものになるんですけど、まあアイドル達に恋をしてもらえるほど私はもう出来た人間じゃないんですよ。ですから、こうある程度恋をしてもらえるようなね、そういう存在っていう物を作って描いてはいます。もう一つ言うとある程度やっぱり道筋を通すために、僕が僕の中でやっぱり色んな好きなものはありますけどそっからこうどれか一個とか二個とか引っ張ってきたうえでやりますけどね。その人の人格ってものは、そんな感じです。

―という事はひとひさんはssでアイドルを描くときにどういう立場にいらっしゃるんですか。

そうですね、映画とかでいうと監督の立場に近いです。

―というのは?

舞台を用意して役者を選定して道筋を決める、あとは当然やっぱり物語にアクシデントといいますか。後はそうですね、アドリブはつきものですからある程度の道筋を決めた上で脳内でにはなりますけど、彼女達が勝手に動く、その様を忠実に描き出すことはしてます。ただ当然これ監督という話はそのままなので、物語映えしなければそのシーンは削除しますし逆に無理くり動かすこともあります。そんな感じですかね。

―ではひとひさんがされているのはコマと筋書きを作るところまでですか。後は演者さん、アイドルさんたちが勝手に動いて…

登場人物たちがある程度勝手に動いてって形ですかね。たまに茶々を入れたりとかカットしたりとかっていうのが加わる場合もあります。

―じゃあドキュメンタリーみたいな感覚で撮られているんですね。

そんな感じが近いのかな、ドキュメンタリーともまた違う感じはするけど。どちらかというとノンフィクション映画が近いかもしれない。題材は180°どころかもっと違うけど、『アメリカン・スナイパー』とか『15時17分、パリ行き』とか、あそこらへんが近いかもしれない。当然モノローグのない映画ですね。

―あー、なるほど。

ノローグのないドキュメンタリーというか、ドキュメンタリーではないなあれは。ノンフィクション映画ですね。

―ノンフィクション映画ですね、わかりました。ところでひとひさんがPである時っていうのはどんな時ですか。

僕がPである時…それは最初に言ったタイミングで言う舞台袖から見てる人である時って話ですよね。

―今までの話を聞いているとssを書いている時のひとひさんは監督じゃないですか。

はい。

―そうだとするとひとひさんがひとひPである時っていうのはどんな時ですか。

どんな時だろう。

―あるいはずっとプロデューサーなんですか。

そうですね、ある意味ずっとプロデューサーではあると思います。基本的には、ただssを書く時だけ変わるのかな。それ以外の時は多分常時プロデューサーとして生きてるんじゃないかなとは思います。

―先ほどssにプロデューサーさんを出すときは自分ではないとおっしゃっていたじゃないですか。

はい。

―とすると自分ではない誰か一人がずっと出演しているっていう感じですか。

一人ではないですね。基本的には作品の数います。それぞれやっぱり違う人間がいるでしょうし違う趣味でしょうし、拘るところも違うと思います。そういうところも細部ではありますが表していけたらなーと思って書いてはいます。

―では、映画としては全然別の違うロールで違う演者さんがやられているっていう感じなんですね。

そうですね、同一監督作品みたいな感じですね。

―そうするとssに出てくるプロデューサーはひとひさんじゃないというお話だったんですが、ファンっていうのはどうなりますかね。

ファンはまさに僕なんじゃないかなと思います。ただそれをちょっと保証は出来ない。

―ひとひさんに近そうな何か。

うん、ですね。基本的には僕だと思うんですけど、夢中になりたいのかという違い?夢中になりたいのか共に歩みたいのか…違うな、彼女たちの歩いていく先、もしくは歩いてきたところに作られてる道、そして彼女たちが歩いていった先のその結果、そういったものを見届けたいっていうのが、その先ほど言った舞台袖から見ているときの僕の見解で、逆に偶像そのものとしての彼女たちを見ておきたい、見ていたいという時がファンとしての僕だと思う。ですかね。

―なるほど、ssに出ているプロデューサーさんはひとひさんではないけど別にひとひさんPもいると。

ですね。

―それに比較してファンだとssとかにいらっしゃるファンも恐らく自分じゃないかな、と。

自分に近いと思います。

―なるほど、わかりました。ここまで聞いてくると…すいません、僕はまたアイマス世界っていう認識の仕方をしてしまっているのですが。

大丈夫ですよ

アイマスの世界が現実世界と同一というか…中にある、じゃないですね。現実世界の中にアイドルさんたちがいるっていう状況で敢えて映画監督という形で間接的な接触、そのカメラ、レンズを通した接触をするというのはちょっと不思議だなっていう感覚を持ってしまっていて。

はい。

―こう直接行かずにレンズを通すっていうのの意図っていうのはあったりするんでしょうか。意図というか背景でも大丈夫ですけど。

レンズを通す意図…多分、結局先ほどssに出てくるプロデューサーが僕かどうかっていう時にもお話をさせていただいたんですけど、結局のところ僕はそんなにできた人間じゃないですよ。できた人間、まともな人間だったら直接触れ合ってこう生きていく彼女たちと恋をされ、して生きていくことがあるかもしれませんけど、私はそんなご大層な人間ではない、まあ一種の遠慮の形のような気はします。そんな感じですかね。ちょっと僕も自分でもあんまりよくわかってないんですけど。

―なんかひとひさんをこう抉り取ってきてるようで申し訳ありませんが、心理的な距離みたいなものがそこに表れているんですかね。

そもそもあのプロデューサーっていうものがアイドルと共に歩むものではないと思っていてプロデューサーはあくまでアイドルの行く先を照らして迷った時には手を引き背中を押してあげて歩みを手助けするものであるとは思ってるんです。だから手を取り合って次の世界へ飛び込もうっていうのはまた違うんじゃないかなと思って考えています。

―立場とか目線とかは対等、同じというかではないっていう感じですかね。

ではないですね。

―一緒に成長ではないよというまあ非対称というとちょっとあれですけど。

一緒に成長ではないです、確実に。

―そういうプロデューサー観も影響していると。

そこも影響していると思います。はい。

―わかりました、私からは以上ですかね。

 

 

―(兎爺)凄く初歩的な内容なんですけども、ssを書こうと思われたきっかけって何だったんですか。

えっとですね、これはものすごく邪っていったらあれなんですけど、元々僕が艦これの方にいたというお話はしましたけど、その時から一応文字は書いていたんですね。当時は主に合同誌の方に参加をメインとしてさせていただいていたんですけど、丁度アイマスに触れかけていたタイミングが合同誌の方にあまり参加をしてなくて、でpixivの方もあまり更新をしていなくてというタイミングでして、その当時のフォロワーのうちの一人にこちらでもssを書いてる人間がおりまして、その方とお話した際にちょっと皆さんがご存じかどうかわかんないですけどとある合同誌がございまして、その合同誌について知ったんですね。その方から教えていただいて。で、まあそんなしっかりした合同誌でなんか面白そうなもんがある、じゃあ書いて参加したいって思ったんですねその時。それに対してその知り合い曰くpixivで何か一本でもssをあげてたら参加OKだってという話を聞きまして、じゃあpixivの方にあげてやれと、書いてあげてっていうのが最初ですね。

―じゃあ割とアイドルマスター関係なく文章を書くのがお好きだったっていうことだったんですか。

文章を書くのが好きというよりもそうですね、人が煌めく瞬間、世界が煌めく瞬間っていうものを何らかの形で納めたいと思っているというのが近いかなと。

―でその方法がひとひさんの場合は文章だったと。

そうなりますね。その結果として、僕のssの全体的な特徴として言われる掌編と言われるごくごく短い文字数で描き切るという形に表れてきてるのかなと思います。

―ありがとうございます。

はい、こちらこそありがとうございます。

 

 

―(Lotus)まず担当と推しについての質問です。

はい。

―推しについてなんですけど、なぜ裕美っていう気はするんですが割と。

そうですね。まあ僕がかなりこう収集癖がありまして比較的ですね。最初ハマった時に割とごそっと買ったんですね。シンデレラのCDを当時出ていたものを比較的ごそごそと買い集めまして、でそのCDもがさっと買ったんですけど、こう色々聞いていく中でずっと聞いていける曲といいますか飽きの来ない曲っていうのがやっぱり何曲か出てくるんですね。でミリオンに関してはそれが比較的大半だったのもあってその結果ミリオンにハマったと言えるんですけど、シンデレラだと数曲になります。十曲程度かな。でその中にソロ曲が二つか三つあるのかな、あって。片方が大槻唯ちゃんのRadio Happyなんですけど、そのもう片割れが関ちゃんの楽園になります。そこからちょっと広がっていったって形ですね。

―最初にソロ曲を聴いて、気になった子の中でそのまま来たのがっていう。

そうですね。ソロ曲も聞き飽きないと言いますか耳心地が良い曲だったっていうところが結構ポイントだったりしますね。後は声の質とかそこらへんも関係はしてきてると思うんです。キャラクター性についてはちょっと最近あまり触れられてないのであまり大きい事は言えません、そんな感じです。

―ありがとうございます。次に担当についてなんですけど、北九州発表時点では担当として紗枝と甘奈を挙げられていたと思うんですけど。

はい。

―これはどうなったと言うか今ではどんな感情なんでしょうか。

そうですね、シンデレラの方に関しては引退をしておりますのでちょっと何とも言えないですけど。シャニの方に関してはちょっと航空用語になってくんですけどモスボールが近いですね。動態保存っていいますか、まあ悪く言うとほったらかしですね、をしてまして。紗枝さん、シンデレラほど心は離れていないけどまあ追っかけをするほどではなくなったと言いますかね、そんな感じですかね。

―なるほど、ありがとうございます。あと一つ聞きたいことがあって、まつりの解像度のあたりについてちょっと気になってるんですけど。どのへんで「あ、まつりってここだ」っていうまつりの輪郭が掴めたといいますか、理解が深まりましたか。

これに関してはどちらかと言うと人間関係の方が結構関係していまして。学会の後かな、多分学会の丁度同時期ぐらいに、これss書きの方なんですけど飛鳥さんって方がいらっしゃいまして、その方とちょっとお知り合いになったんですね。その方がまつりPなんですね。でその方の書かれているまつりのssとかを読んでいくうちにその方の解釈に触れて解像度が高まっていったっていうのは正しいかもしれません。

―なるほど、ありがとうございます。

 

・取材後記

アイドルのいる空間を身近に感じながらそれを表現するときにはプロデューサーとしてでなく映画監督のような立場をとるというスタンスを伺えました。個人的には過去一難しい内容だった気がします。

 

次回はめろんソーダさんにお話をお聞きします。公開は【 3/6 】予定です!
主犯格多忙のため一週間遅らせてください…

 

(文責:Lotus)

 

 

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