頓痴気号漂流記

一人で工廠を名乗る不届き者。

狂気の弁明#9

学会発表者の狂気に迫るインタビュー、第九回はシャニマスに「治療」のプロセスを発見した恒河沙さんに来ていただきました。
Twitter:@liebender381
発表リンク(アイマス学会inSapporo):
https://youtu.be/ozztaNgNVcM?t=18760

 

アイマスとの出会い

ー(温泉卿)今回は恒河沙さんにお話を伺っていきたいと思うのですが、まずはアイマスとどういう風に出会ったかについてお話頂いても大丈夫ですか?

わかりました。最初にアイマスアイマスというか僕はシャニマスしかやってないんであれなんですけど、シャニマスを認識したのは去年の4月…ですね。去年の4月に友人から勧められて、その時は適当にかわした、というかコイツめんどくせぇなと思ってかわしたんですけど、その後8月、4ヶ月たって8月に全然関係ないんですけど試験勉強していて、試験勉強が嫌になって、その時にアイツなんかシャニマスとかいうの勧めてきたなぁって思ってちょっとやってみて、やってみたら試験勉強どうでもよくなっちゃって試験勉強そっちのけではまっちゃったという感じですね。友達が勧めてくれたというのが入口でもあるし、逆に遠ざけていた理由というか、まぁそんな感じなんですかね。

ーなるほど、ありがとうございます。そうするとシャニマスを始められてからずっとそれ一本でやってこられたと、そういう感じですかね?

そうですね。まぁなんか一応ポプマスもやってみたり、この前sideMのアニメをYouTubeでやっていたので見てみたりはしたんですけど、今のところゲームやっているのはシャニマスだけですね。

 

・担当や推しについて

ーでは、担当や推しについてお聞きしたいんですけど、担当というのは決まっていらっしゃいますか?

いやまぁ担当というものは決まっていない、というか特に…持ってないのですね、そういうのは…

ーそうすると、そもそも担当というものが概念として存在しなかったりしますか。

そうですね、少なくとも「僕の担当」というのは基本的にないというか、あくまで担当はプロデューサー(以下P)の担当で、僕とPは別人なので、担当アイドルは僕にはいませんというのが僕のスタンスなんですかね。

ーでは推しということについてはどうなんでしょうか。

まぁ推しもあれなんですけど。推しって意味を厳密に考えたら、他人に推せるか、応援できるかっていうのじゃないとダメだと僕は思っているので、そういう意味ではillumination STARSの風野灯織さんとか、まぁあとnoctchillの福丸小糸さんとかは…推しになるんですかね。皆頑張っているのを応援したくないわけじゃないんですけど、特に人にこのアイドルいいよ!って推せるのは風野さんとか福丸さんとか、ですかね。

ーこれは難しい質問になってしまうかもしれませんが、担当や推しの差はどういった部分にあると思いますか。

なんだろう、すごく記号みたいな理解しかしてないんですけど、担当はPが担当しているアイドル、で、推しは僕が推せる、というか推したいと思ったかどうか、という感じの理解なので…そうですね、それこそ僕の中では差は明確なのですけど、それが他の人とどうかというのはちょっとわからないんですけど。差は明確で担当はいないんで、どうなんですかね、難しいですけど、別に気に入ったキャラクターを言う言葉ってファンとかでもいいわけですし、単純にお気に入り、贔屓といってもいいわけだし、担当と推しに限る必要はないと思っているので、無理やり担当とかっていって、自分の気持ちを一つに固めちゃうのはよくないな、と思っていて、なんかちょっと脱線しちゃったな…そうですね、担当と推しの違いは、担当は担当しているかどうか、推しは推したいかどうか、ぐらいにしか思ってませんね。

 

・発表要約

ーわかりました。では、発表の要約の方に移って頂いても大丈夫ですか?

わかりました。僕が札幌の学会で話させて頂いたのは基本的に、僕たちがどういう視点からアイドルマスターシャイニーカラーズをプレイしているのかということと、でそれが僕たちにどう影響しているのかを考察したんですけども。で、じゃあどういった視点からシャニマスをプレイしているのかといったら、ゲームシステム上は我々はPっていう人間、まぁちょっと名前はわからないですから本当にPとしか言えませんけど、Pという人間の視点を借りてシャニマスの世界を観察しているんですけど、一方で感情という部分に注目してみたら僕らはPの感情と同じものを感じているかというとそれは疑問だなという風に僕は思ったんですよ。じゃあ一体僕たちは感情をどこに重ねているのかといったらアイドル、Pではなくむしろアイドルのそれに重ねているんじゃないかということを、まず一つ結論づけて、じゃあそのアイドルに感情を重ねることはどういう効果を僕たちにもたらしているかということを考えてみると、シャニマスのテーマのひとつとして、アイドルをプロデュースしていく中でそれぞれ個々が抱える問題を解決というか、いい方向に持っていくというのがあると思うんです。そのアイドルそれぞれの問題がいい方向へ向かっていくなかで、そこに重なった、特にアイドルと重なっている自分の心の中のわだかまりがいい方向に向かっていくのではないかと考えて、それを僕はウィトゲンシュタインから表現をパクって「治療*¹」と、これは本当に表現をパクっただけなんですけど、「治療」と言っているという、それが主旨ですかね。

ーありがとうございます。確か本番中時間が足りなくて省略した部分があるとおっしゃっていたように記憶しているのですが、その部分について触れていただいてもいいですか?

今言ったのはアイドルに対する我々の重ね合わせっていうことだったんですけど、それって別にシャニマスの23人のアイドル全員に言えることではなくて、というのはよく言われるPラブガチ勢といわれる人たちですよね、例えば杜野凛世さんとか月岡恋鐘さんとかああいう人たちというのは、我々の感情をエミュレートしているわけではなく、むしろ客体的というか客体要素が強いというか、なんていうんですかね、すごくちゃっちい言い方をするといわゆるギャルゲー的なことをしたい人達向けというか、向けではないんですけど全然。ただまぁそういう要素が強いというか、いわゆる攻略対象というか、「へぇー君はこんな事思っているんだね」って我々が思うアイドルもいるわけですよ。いるわけですよって僕当たり前のように言っちゃいましたけど、多分それは僕の発表を聞いた人がひとつ思う、なんというかモヤっとしたところだと思うんですよ。だから、その一概に全員に感情を重ねられるっていうわけではないなっていうことを当然状況としてあって、そこから僕は23人のアイドルを大枠で三つに分類してみました。ひとつが主観的なアイドル、これは我々が感情を重ねる側ですよね。よく言動がすごくメタ的だな、ということを言われている人たちで、例えば三峰さんとか、実在性高いと言われるような人たちが多分ここに当たるんじゃないかなと思っていて。三峰結華さんとか樋口円香さんとかそういう微妙な気持ちの揺らぎみたいなものを我々が重ねるのはそういうアイドル。でもうひとつが客観的というか、客体的なアイドルで、それはさっき言ったようにいわゆるギャルゲー的なアイドルの人たちで、杜野凛世さんとか月岡恋鐘さんとか、まぁあと正直僕は微妙だと思っているんですけどいわゆるPラブ勢っていうんだったら大崎甘奈さんとかですかね。僕は大崎甘奈さんがPに恋しているというのはちょっとよく理解できないんですけど。まぁそれは置いておいて、もしそういう分類をするんだったら、僕は今言ったようなアイドルが割と入りやすいんじゃないかなって思っていて。で、さらにひとつ思っているのが、対立的に主観的なアイドル、なんか対立的主観的なアイドルがいるんじゃないかなと思って、これはどういうことかというと我々と直接は感情が重ならないけど、我々の感情に対してテーマを投げかけてきて、それによって我々が気づかされるアイドル。例えば芹沢あさひさんとか市川雛菜さんとかみんながちょっと内面、というか背けて来たことにズバっと言われてウッと思わされるようなことを言うアイドルの人たちがここにいるんじゃないかと思っていて。ちょっと長くなっちゃったんですけど、まぁ大枠で三つアイドルを分けられるんじゃないかなってことを話したかったです。ただまぁこの分類は人によって結構ブレると思っていて、例えばさっき対立的主観と主観のアイドルは入れ替わるというか、芹沢あさひに感情移入する人は多分黛冬優子のこと、特にイベントコミュとかの黛冬優子のことは全然理解できない、というか「へーそんなこと思う人もいるんだ」ってことを気づかされる対象だったりするし、別に杜野凛世さんに感情移入する人も全然いると思うし、という感じなんですけど、それはともかくとして、それぞれの個人の中にアイドルの三つの型があるんじゃないかなということを言いたかった、そういう話ですね。

ーということは、視点の位置と特徴によって分類が可能で、箱の内容物はともかく箱自体については一般性があるんじゃないかなという話が省略部分というわけですね。

そうですね。あんまりメインじゃなかったので省略しました。

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・今後の展望

ーこの発表を受けて、今後これ自体を発展させていく、あるいはこれを踏まえてなにか別のものを作り上げるビジョンというのは決まっていますか?

決まってはいないんですが、一応発表で最後に言わせてもらったのが、結構シャニマスのPがアイドルに向き合っているときに喋っている方法とか内容とかが、実際の心理カウンセラーの方法と似ているなぁということがいくつかの方面で言われているみたいで、だからそれが実際にどうなのかなということを確かめてみようかなと思っていたり思わなかったりするのと、僕が今回やった発表は結構証明論的にやっていったというか、それぞれのゲームのなかにあるゲームの要素を分析的に、メタ的に見ていった発表なんですけど、僕の発表を聞いてくれた知り合いの方がそれに対してまた別の方向から考察してくれて、現象学的な、多分現象学なんですけど、そういう視点から考察してくれて、そういうもうちょっと意味論的な方向から考えるのもいいのかもしれないなと思ったりはしています。まぁほんとに思っているだけなんですけど。

ー別の方向から考えてみようみたいなことがあるわけですかね。

たぶんそんな感じですかね…

 

・犯行動機

ー犯行動機として、我々は犯行という言い方をするのですが、どうしてこの発表をしようと思ったのか、というのを簡単に教えてください。

犯行動機というか…理由は一番最初にシャニマスをやってwingを一周してもう思ったことなんですけど、一番最初に僕は黛冬優子さんをプロデュースして、その中のコミュで冬優子が撮影のカメラマンさんから君の笑顔は偽物だと言われてブチギレるっていうすごい重要なシーンがあるのですけど、まぁ重要なシーンというと重要じゃないシーンがあるみたいで語弊があるのですけど、まぁそれはおいといてすごく重要なシーンがあって、そのシーンで僕もすごいイライラさせられたというか、なんでこんなに頑張っているというか、頑張っているというとちょっと安っぽいんですけど、なんというか冬優子はコミュの中で「こっちはちゃんと仕事してんのにワケわかんないこと言うなっての!」っていうセリフがあるんですけど、ほとんど同じようなこと思ったんですよね。「いや冬優子はやれって言われたことやってんのにわけわかんないこと言ってんじゃねーぞ」みたいなことを思ったら、ほんとに言ったわみたいな感じとかあったりして、それでそこに至るまでは基本的に僕はシャニマスのことをPの視点から見ていると思っていたんですけど、ゲームシステム的にそうじゃないですか、Pの視点に立ってシャニマスやってるのになんで僕はこの場面でPの気持ちにならなかったというか、「落ち着け冬優子」ってなるんじゃなくて、「わけわかんないこと言うな」っていう、そういう冬優子と同じ気持ちを背負わされたのってなんでなんだろうと思って、それが主な動機ですよね、直接的な。

ー何か視点の浮動を感じとって、それはちょっとおかしいんじゃないかというところが始まりだったわけですね。視点が浮動するというのは、恒河沙さんにとってアイマスがどこに位置するかによってその意味が変わるような気がするんです。恒河沙さんにとってアイマス世界って現実世界の延長線上ですか?それとも別ですか?

僕の中だと別ですね。全く別の世界というか、別の世界…まぁでも別の世界といった方がいいんですかね。僕は基本的に創作物を見るときは誰かの視点から見るその世界みたいなものを楽しんでいるので、まぁ正直言ったらアイマスは設定上は現実世界と遜色ないというか、大差ないというか、別に変な魔法が使えるとかそんなことはないので、別に現実世界と同じであろうとなかろうと問題はないんですけど、どちらかというと自分とは違う視点から見た誰かの世界を見ている、そんな感じなんですかね。仮に現実世界の延長だとしても、しなかったとしても、それは僕にはわからないけど特にシャニマスは、シャニマスというかアイマスが延長であろうとなかろうと僕には見分けがつかないんですけど、僕とは違う誰かの視点から見ているというが僕の中で固まっている、固まっているというとなんかアレですけど、まぁそんな感じですね。

 

・私的P観

ー全く別の世界に精神というか感覚器官だけを飛ばしているよ、という風に認識をされているんですかね。最後の私的P観の方にいきたいと思います。恒河沙さんにとってPとはなんですかということをお聞きしているのですが、最初の方で担当もいないとおっしゃっていて、担当と推しの定義というのもパロール*²というよりはラング*³的な回答を頂いたじゃないですか。その辺も含めてどういうPの見方をされているのかを教えてください。

まず、Pという人間は僕が思っているのは、少なくともシャニP(シャニマスに登場するキャラクターとしてのプロデューサー)は画面の向こう側にいて我々に視点を提供してくれるよくわからない人間だと思っています。なんていうんですかね、担当とか…今Pの話ですよね。さっき言った通り、僕はPはただのキャラクターとしか、ただのキャラクターというと雑に扱っているみたいですが、それは別にアイドルと等価なキャラクターとしか思っていなくて、別に私がPとかは特に今のところは感情として持ってないというのがあるんすかね。

恒河沙さんはシャニマスの世界については観測以上のことはできないという感覚なんでしょうか。

そうですね。主にそんな感じというか。

アイマスは別の世界だとおっしゃっていたのですが、シャニマスって実在性に富むという評価がなされているように感じます。そことどのように折り合いをつけていますか?

折り合いというか、単純にパラレルワールドだと思っている感じですかね。あの世界に僕がいてもいなくても出会うことはないので。アイドル達と接点を持つことは出来ないので。まぁなんか、そこらへんは正直特に何も考えずにやってるんですけど。そうですね、パラレルワールド、僕にとっては別に創作物の世界は整合性さえあれば割となにしてもいいと思っているので、なんか逆に整合性がないと僕は一気に冷めちゃうというのがあるんですけど、そういう意味でシャニマスは現実世界とほとんど同じ設定であれだけのことをやっているからすごいなと思いつつ見させてもらっているというか、まぁそんな感じでいいですかね。

ー一番最初に友人から布教された際にかわしたとおっしゃっていましたが、理由を教えてもらってもいいですか?

一番の理由はその友人がシャニマスを「ギャルゲー」として勧めてきたことでしょうね。僕は創作物を楽しむときはその世界全体を楽しみたいというか、あまり特定のキャラをどうこうするというようなことにはあまり興味がなかったので遠まわしに断ったというか。あとは僕の経験ではアイマスをやってる周りの人間はほとんどデレマス、というよりデレステをやっている人間だったので、そういう偏見もありましたね。

ーここまでインタビューをしてきて、「探究*⁴」より「論考*⁵」的な香りを感じたのですが、言語に対しての強い厳密性の要求というか、写像関係への忠誠はどこが原動力になっているのでしょうか?

なんというか答えるのは結構難しいんですけど、創作物に何か強い感銘を受けたときの、その強い気持ち自体はすごい曖昧じゃないですか。けれどもその曖昧な気持ちを表現するならその分最大言葉にするときに気を付けないといけないというか、うまく伝わらないというか。それで語れる部分を語って、それを尽くして最後に残る部分が、それこそ語り得ないことが示されるといった感じですけど、あなたが心の底から好きなものじゃないんですかって思うんですよね。それを例えば全部「エモい」の一言なんかでまとめてしまったらもう何がなんだかわけわかんなくなっちゃうわけで、僕はそういうことをしたくないというか、僕が好きだと思ったものを、できるだけ正確に表現したい、それが作品への誠意なんじゃないかと思っているようなところがあると思います。

ーなるほど、ありがとうございます。

 

ー(朧灯)先ほど、推しとして灯織の名前を特に挙げられていましたが、それは何故なんですか。また、「彼女を担当としている」とならないのはどうしてでしょうか。

推しとしてあげた、灯織には「コミュ障」みたいなキャラクターがあると思うんですが、彼女の身振りや言動というのがどことなく本当にいる「そういう人」に見えた。自分もその毛が少しあるのでそれもあって応援に力が入ってしまいます。ただ、シャニマスをプレイしていると23人みんなをプロデュースするので、23人みんな応援したくなるし、誰かを取立てて贔屓したくないという気持ちになります。担当となると、好きだから担当だ、というのは違うかなと感じています。担当だから好きだ、という話ならわからなくもないですが、プロデューサーという「仕事」である以上、好きという感情が、担当するという行為の必要条件にならないと思うからです。ただ、その感情が担当を名乗るのに値する条件だとしても、私は「自分がアイドルの担当である」という気持ちの選択をしよう、という思考に自分で誘導しなければ、ことさらに誰が担当だ、という気持ちにはならないです。また、担当と名乗るのには、積み重ねが足りないっていうような意識もなんとなくあります。担当という言葉は僕の中ではかなりオタクの言葉だと思っているんですが、僕自身はオタクというものには到達し得ないという意識や、担当というまでのアイドルとの蓄積がない、名乗るのは烏滸がましいという気持ちがあります。私の思っている「オタク」というのは、かなり「鍛えられた」というような、ある種特別な存在だと思っていたので、中高時代に身の回りにいた「ひたすらにコンテンツを消費していくオタク」に辟易していました。それが反面教師になって、その世界が好き、そのキャラクタがーたちみんなが好きでいいじゃないか、誰か一人選ばなくていいじゃないかと思ってしまいます。

 

ー(Lotus)ゲーム中以外で恒河沙さんがアイドルの存在だったり気配だったりを感じる瞬間はありますか。

タルパ*⁶とかあるじゃないですか、そういうのを考えることはないんですけど、例えば外である出来事に出会ったときにあのアイドルならこういうことをしたり言ったりすることは想像します。自分の中で解像度の高い妄想としては、黛冬優子と握手してもらった経験が夕飯中に降ってきたんですよ。ホーム画面見てもらえばわかる通り、冬優子は手が綺麗なんですよ、白くて指が長くて綺麗で。陶磁器みたいなんですけど血が通った温かさがあるんですよ。ぎゅって握られる握手ではなく、フワッとした感覚が手に残ったんですね。

 

・注釈

*1:L.ウィトゲンシュタインの「哲学探究」で主に提示された概念。言語をその限界を超えて運用することで陥る「哲学的病」は、すぐ近くに問題の解決法があることを認識できなくなる。そういった人々に「治療」として解決法の方向を示す、いわば「蠅取り壺の蠅に出口を示す」ということ。

*2*3:近代言語学の父と誉れ高いF.ソシュールが考案した言語の区別。ラングは社会に広く認識された言語規則を指し、パロールはその規則に概ね従いつつ個人で運用される言語を指す。なお、ラングが一方的にパロールを規制するわけではなく、その逆もありうることは注意。

*4*5:共にウィトゲンシュタインの著作。「論考」は「論理哲学論考」、「探究」は「哲学探究」を略したもので、それぞれ前期ウィトゲンシュタインと後期ウィトゲンシュタインを代表する。ウィトゲンシュタインはその哲学人生において前期と後期では一世と二世と(冗句的に)称される通り、その思想には変化が見られる。それがどのような変化か、またそれぞれがどのような思想なのかを語る紙面はないし、資格もない。筆者も完全に理解できていないからである。

*6:チベット仏教から神智学へ輸入された概念で、イマジナリーフレンドの一種とされる。

 

・取材後記

私なんかは紛い物で、本物の狂人を連れてこようと学会を勧めたわけですが、想定以上の巨人を放ってしまったかもしれない、そう思えるインタビューでした。あと最後の質問で爆笑したのは許してください。


編集部多忙のため、次回からは月刊連載になります。申し訳ありませんがご了承ください。

次回の公開予定は後日ハッシュタグ#狂気の弁明でお知らせします。


(文責:温泉卿)

 

 

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