頓痴気号漂流記

一人で工廠を名乗る不届き者。

狂気の弁明 アイマス学会FES特別編 温泉卿回

今回もアイマス学会FES特別編、第二弾はFES発表者かつ本企画の企画者でもある温泉卿さんに話を伺ってきました。
※大変遅くなってしまい申し訳ありません。この記事は2021年5月28日の録音を基に作成しています。ご了承ください。
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FES本編:

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ー(Lotus)狂気の弁明アイマス学会FES特別回ということで、主催がそれぞれお互いの発表について質問をしていくという企画ですが、温泉さんの回を始めていこうと思います。

はい、よろしくお願いします。

ーまず、アイマス学会FESでの温泉さんの発表についてどんな内容だったか教えて下さい。

そうですね、全体的なテーマとしては「アイマスを人文化する」という言い方をしていますが、アイマスを学術の文脈で理解しようと試みました。なぜこんなことをするかというと、アイドルマスターというコンテンツを知って、客観的、客観的というか、まぁ評価をするためには、どうしても学術というもののまな板の上に乗っけてやる必要があるんじゃないかと考えたからですね。で、それらのやり方の総括をしました。内容としては、アイマスは宗教なのかという問題に対し、どちらかというと宗教だろうという風に考えました。もしアイマスが宗教的であるならば、人類史におけるどういうものと類似性が見られるかな、というところから、新しい宗教の形態や真の現代の哲学を生み出すための補助というか、そういうものになるという可能性を秘めているんじゃないか。アイマスを含む文化圏には、もっと多くの意味があるのではないだろうかという風な結論を引き出すような発表でした。

ーありがとうございます。ここで、よく協力していただいているUさんから「ぶっちゃけこの研究ジャンルをこれからどう持っていきますか?」との質問が来ています。これに関しては、そもそもなぜこれをはじめたの?というところも含めてですかね。第1回北九州がアイマス学会としては初めてだと思いますが、なぜアイマス学会北九州に参加しようと思ったのか。で、今回の結論とアイマス学会北九州の内容ってちょっとズレているというか、違うものという気がしているんですけれど。なぜそこもまとめとして話題に上げていたのか、そして今後どうしていくのか、この辺をちょっと聞いて行きたいと思います。

じゃあまずはきっかけから行きましょうか。きっかけなんですけれども、これは狂気の弁明当該回を見て頂け……あんまり見てほしくないんですが(笑)、見たいという方は見ていただけると、そこで多少お話させて頂いた所でもあるんですが、アイドルマスターというのは何なのか、我々にプロデューサーという役割を与えたりするアイマスというものは一体何なんだという疑問がまず前提にありました。そこでアイマスが人類によって作られたものならば、今までの人類の学術的な知識で説明できるのではないかというのが始まりでした。それを思いついてから最初の数年は全部独りでやっていたのですけれど、行き詰ってもうどうにもならなくなってしまった。そのまましばらくは不完全な形で右往左往していた感じなんですけども、とりあえず人に見ていただければ、批判を頂くなりして一歩前進できるのではないかと思って持ち出したというのが北九州までの経緯です。

ーありがとうございます。今回の発表では今までの発表について触れながら新しいまとめをするという組み立てでした。なぜ今までの振り返りを入れたのかという理由をお伺いしたいのですが、いかがでしょうか。

今回の発表はアイドルマスターを学術の上で考えてみようという試みの総括という面が強かったので、それをするのであれば、最初の北九州から札幌学会、今回の3回分のまとめをしてあげないと不味いというのが北九州も入れた理由になります。

ーありがとうございます。では、今後この取り組みについてどういうアプローチをしていきたいかについてもお伺いしたいです。

私としては、もうこの問題にアプローチすることは、少なくともアイマス学会の口頭発表という形で、何か皆さんにお話しすることはないと思います。ない……ですね。私がこれをやることの正当性がわからなくなったからやらない。私が期待したことを伝えられ、それに期待する人が出てきた、それで今回の学会3回にわたった「人文化する」のお仕事は1段落ついた、僕の仕事は終わったと考えています。
じゃぁ口頭発表以外で何か語ることはあるのかいと聞かれますと、それはもうわかりませんが、今のところそれもあんまり無いような気がします。既にFESの準備段階でこのテーマは私の手に余る状態だったので、やるよ!って仰ってくれる方がいらしたら是非お渡ししたい、というそんな感じですね。

ーなるほど。今後誰かが引き継いだり、あるいは新機軸で考え始めることになるかはわかりませんが、実際に「こういうことやっているんだ」であったり、先程なぜ北九州に持ち込んだの?という話でも伺いましたけど、学会FESで発表の結果色々なご意見頂いていましたよね。反応が多いというのはやっぱり嬉しいことじゃないでしょうか?

そうですね、私の発表の一番大きな目標として、アイドルマスターとそれを含めた文化圏の可能性、こういう見方もできるんじゃないかという期待を皆さんと共有できたら一番嬉しいなというのがあったので、そういう意味ではとってもありがたいですし、また批評するということは滅茶苦茶エネルギーがいることじゃないですか、なので、批評をするだけの価値を見出してくれたという点でもとても嬉しいことですね。

ーなるほど。ではここでもう一方、いつも協力いただいているRさんからいくつかのコメント、というか質問を頂いています。まず1つ目は「人文化を図る時、それは自然科学ではなく社会科学のフィールドではないか、また自然科学での「合理性」に沿わせようとするのは前提がおかしいのではないか。」ということですが、これについて発表の最初の方で何故自然科学を一度引き合いに出されたのでしょうか。

それは、自然科学というか科学哲学の話だと思うんですけど、私の限界でもありまして、仮説に対してそれが学術的であるかどうかの判定について語ってくれるような学問を科学哲学しか知らなかったという点が大きいですね。パワープレイというか、ラフというか、乱暴な論理ではあるんですが、自然科学の仮説の妥当性はその仮説の合理性に依存しないのと同じように、社会科学のそれもそうであると言うためにやったという感じになりますね。

ーなるほど、Rさんからの質問の続きですね、「合理性主義に依った解釈をしたいなら、それはそれで建神主義のように、その欠陥のある視点を援用したのか」という質問ですね。これはロシア宇宙主義あたりの話ですかね。そのあたりと関係してくると思うのですが、何故使ったのでしょうか?

「合理性主義に依った解釈」というのが今ちゃんと咀嚼できていないのですが、ロシア宇宙主義という大概怪しいものを何故使ったのかという疑問はもっともだと思います。別にロシア宇宙主義を経由しなくても、ハナから思弁的実在論*1の話に行ってしまうこともできました。なのに何故これを使ったのかというと、単純にそれを経由していると愉快だから、ですね。これは本当に申し訳なかったと思っているのですけど、申し訳なかったというのは、これが「衒学*2遊び」なのか、それともちゃんとした学術としてやっているかというのを、ちゃんと明示しなかった点が良くなかった。余興なのか学術なのか、結局どっち付かずの態度になってしまったんです。先述した通り、僕の目標は期待感を共有することで、期待できることが学術的に妥当なのか検証することではなかったのです。と同時に、アイマスを含めた文化圏には、学術的な俎上に載せる価値があるということは、本気で考えていました。このあたりの不均衡さが、学術なのか「衒学遊び」なのか、という混乱を産み出してしまった気がします。

ー問題意識自体はありながら発表としてはあくまでも「こう考えてみたら楽しいんじゃない」という提案だった、といった感覚なのでしょうか。衒学……と言われてしまうと私としても多少刺さってしまうところのある表現なのですが、それが「遊び」と言うのは興味深いですね。もう少し解説など頂けるでしょうか。

「衒学遊び」というものは、私としては間違っちゃいないけど正解でもないことをやることだと思っていまして、たとえば歴史小説みたいなものですかね、史料に書いてあることから外れないけれど、史料を最大限読み物として面白くなるようにする、そういう作業をしていると思っていたので、ロシア宇宙主義を何で使ったかと言われると結局はそれを使った方が面白いからという話になるからですね。

ーありがとうございます。今のお話に関してですが、この話ロシア宇宙主義を持ってくる必要はないけれど、でもアイマス学会だし楽しく語っているという時点でロシア宇宙主義を喋るっていうのもアリなのかね、という意見も追加で見られますね。では、Rさんから最後のコメントですね。「発表全体として、やはり温泉卿さん自身の視点・思考をもう少し聞きたかった」という、言葉が難しかったよということで、そこの説明に時間を割くのは仕方ないと言えば仕方ないですが、結局どこに落としたかったのかというのが私もちょっと疑問でしたね。

どこに落としたいのかというと、これはアイマスのようなコンテンツはもう単なる消費物ではないんじゃないの、もうちょっと、こういう言い方はオーバーですが、人類史の一つの区分となってもおかしくない可能性というか、そういう期待をもっているということを共有できたらよかったので、正直あれ以上の主張を喋ってもなぁという所は正直あります。

ーなるほど、ちなみにここに関してはアイマスはなんなのというのに明確な答えを出さないまま、宗教って何ってことにも答えが定まってない状態で、アイマス=宗教という方向に議論を進める場合、これは単なる知識のひけらかしなんじゃないかというご意見がありますが、これはどう思いますか。

これは手厳しい意見ですね……まぁYESかNOかで言われれば、私からNOと言うことはできないという形になりますね。ただ、多少の言い訳をさせていただくと、そもそもアイドルマスターというものの根幹をなすアイドルというものが神秘、まぁ神秘と言ってしまうのですが、神秘と密接な関係にある以上、アイマスを明示するのは無理なんじゃないかと思っているんですよ。で、同様に宗教も神秘が関係してくるものなので、両方明示できない以上、ピントがバッチリ合っていない、ぼんやりとした概形を示すということしかできないと思っていました。そんなぼやけた概形示されても無価値だよと言わてしまったら、それはすみませんでしたとなるんですが、ぼやけてていてもそういう可能性があるということを示すこと自体に価値があると思っていたので、単なる知識のひけらかしだけではないと言いたい所はあります。ただ、そこに俺こんだけモノを知っているんだぜ!という自己満足が無かったのかと言われたら、それは私は何も言えないので、それは聞いた皆さんの評価にお任せしているという感じにはなってしまいますね。

ーなるほど、ありがとうございます。これは私のとても個人的な感想なんですけど、1プロデューサーとして、この発表のプロデュースはすごいなと思いながら私聞いておりまして、温泉さんの目標としてはアイドルマスターの謎を解明したいわけではなく、アイドルマスターはなんなのかという議論をする仲間というか、言ってしまえば自分より優秀な人間を探していたわけじゃないですか。これに対してFESという大きな場をお借りして、場の力も借りながら、結果これだけの人間が議論して、また特別な知識あるいは勉強を重ねた人材がここに批判を残してくれているというのは、プロモーションとしてというか、あるいは本来の目的達成としてすごくいい発表だったんじゃないか、そういう意味でこのプレゼンはすごくいいものだったのではないかと考えているのですが、結果的に頂いた感想やあるいは批判、自分も考えてみたよからいやここはこうなんじゃないかまで、様々なご意見あったと思いますが、これについてどのようにお考えでしょうか。

えーっと、最初に申し上げたとおり、そういう批評をすることってかなり大変だと思うんですよ。相手方の仰っていることを最大限好意的に理解して、その上で「ここは違うんじゃないの」ということを人格批判にならないようにやっていくというのはエネルギーのいる作業だと思うので、そういうことをやるだけの価値を、このアイドルマスターというもの、というとおかしいですが、アイドルマスターというのがどういうもので、どういう価値があるのかという議論に見出してくれたということは大変ありがたいことだと思っています。で、できることなら、こんなこと言うのも傲慢ですけど、皆さんで色々私はこう考えるというのをどんどん世に出して頂いて、それこそ本当の、正真正銘の学術研究になるようなことになれば発表者冥利に尽きるという感じですね。

ーなるほど、これは多分記事には使わない情報だと思いますが、今「アイマス 宗教」と調べると、上位にミリオンのライブの終了時に無声で「アイマス最高」と手拍子をしている事に対して、宗教みがあるとめっちゃ言われてますね。

やっぱり皆さん感じられますよね

ーだよね。

 

取材後記

まずは謝罪から。読者の皆様、そして温泉卿さん、大変お待たせしてしまい申し訳ありません。徐々にではありますが活動を再開していけたらと思っています。
さて、今回は温泉卿さんからアイマス学会FESでの発表を中心として様々なお話を伺っていきました。編集作業をしながら「何言ってんだ?」と思うことも多々ありましたが、発表された過去3回のアイマス学会において何がしたかったのか、どのように考えていたのかをより深く知ることが出来た気がしました。因みにこの編集中に改めて学会FESのアーカイブを見てみたのですが、ほんの少しだけ理解できる点が増えていました。開催から1年が経とうとしている今、改めて聞いてみると面白いかもしれません。(Lotus)

 

録音データを約一年熟成させたのは私です。腐ってないといいのですけど……(温泉卿)

 

次回は...おそらく再始動記念に何かしらやるそうです。詳細は後日 #狂気の弁明 でお知らせします。

 

(文責:Lotus)

 

*1:「相関主義」の人間中心性を批判する立場。トテモムズカシイ。wikiがありました。

*2:知識をひけらかすこと。