頓痴気号漂流記

一人で工廠を名乗る不届き者。

狂気の弁明#8

学会発表者の狂気に迫るインタビュー、第八回は喜多見柚に量子的振る舞いを見出されためろんソーダさんに来ていただきました.。
Twitter:@melonsodaV3
ユズカレンダー2019内論文:https://tueszzz.info/december-with-yuzu-2019/article19-EX.html


アイマスとの出会い

―(Lotus)ではめろんソーダさんお願いします。

はい、よろしくお願いします。

ーまずアイドルマスターというゲームコンテンツそのものについての出会いを教えてください。

はい。多分一番最初ってことになるとアニマスが最初で、ただアニマスで入ったんですけど当時の持っているゲームハードとかの兼ね合いで765に直行はしなくて。

そこでシンデレラの方にいって、当時まだ765ASもガシャに出てたりとかしたのでそれで入ったんですけど、結局そこでシンデレラに行って今に至るみたいな感じです。

ー今やってらっしゃるゲームはモバマスだけですか。

今やってるのだとモバマスデレステと後シャニマスもやっているので、そのくらいですかね。ミリシタも入れてはいるんですけど、まだ担当がこの子だと決めてないので、そこまで真面目にやっているわけではないというか。

ーなるほど、となると例えばミリシタとかシャニマスとかはサービスインからやっていた感じですかね。

そうですね。ミリシタとシャニマスはサービスが始まってから携帯には入ってるかなと思います。シャニマスはパソコンでできるので、あまりスマホでやらなかったりはしますけど。

 

・担当や推しについて

ーありがとうございます。では次に担当と推しについて、まず担当アイドルは誰か教えてください。

はい。担当は喜多見柚、中野有香水本ゆかり塩見周子、乙倉悠貴がシンデレラで、あとシャニマスで園田智代子を担当しています。

ー推しという存在はありますでしょうか。

推しってなると難しいんですけどどうかな...小糸ちゃんとかは推しかなと思いますね。

ー担当と推しの違い、例えばそれこそ智代子と小糸に対する主な感情の違いと言うか、そういったものはありますか。

智代子に関してはコミュを読んだのが自分のシャニマスのゲームのプレイ中にばっちりなタイミングで来てそれで担当だな、ってなったので。だから担当する動機がバチっとあったから担当になったのかなと思いますね。でも小糸ちゃんはまだよく知らないって部分が結構あるので、シャニマスに関してはその智代子のコミュを読んだタイミングがめちゃめちゃ良すぎたせいでこれ以上担当が増える気がしないというか、そこのハードルがかえって高くなっちゃってるというか、そういう感はありますね。

シンデレラの場合は、最初から有香とゆかりの複数を担当してたんでそこに対する心理的なハードルはあまりなかったんですけど、逆にシャニマスは一人を担当していた時期が長いので事務所内に複数の担当を持つことに対する心理的なハードルがやや高めみたいな、あとまあ自分が介入しなくてもまあいいかなみたいなそういう気持ちもあったりして。スパッと答えるのは難しいですね。感覚的にはそんな感じです。

ーこれも感覚的にで構わないですが、担当って何って言われたらなんて答えます?

でもやっぱり自分が担当しているアイドルにはやっぱり少なからずもうちょっとあるやろっていうか、まだこんなもんじゃなくないっていう気持ちが多少なりともある気がしますね。なのでもうちょっと相応しいステージがあるんじゃないかってそういう気持ちがあると担当というワードのチョイスになりやすいんじゃないかなっていう気がします。

 

・発表要約

ーありがとうございます。では続いて発表内容を伺いたいと思うんですが、資料の形で発表されました量子柚学についてのお話をお聞きしたいです。

そうですね、あれに関してはそもそも何で書こうかっていう話をすると、設定的にゆらぎがあるというかどっちやねんみたいなところがスタートで、柚って15歳なんですけど15歳って中3の15歳もいるし高1の15歳もいる。ただ中学生と高校生って結構違うと思うので、同じ年齢だったとしてもそこで見えてくるものが違うかなって思っていたんですけど、片やシンデレラのアニメのおまけのボイスドラマですか、NOMAKEだと女子高生って表現されていたりとか、しんげきのアニメの設定資料集だったかな、には女子高生ってちゃんと書いてあったと思うんですけど、ただデレステのスプスクのイベントの時には中学生みたいなことを言っていて、どっちやねんみたいなのがスタートで、どっちやねんと思ったしどっちかにしてくれやていう気持ちは勿論多少はあるんですけどただ、それは両方でも何とかこう説明を付けると言うか辻褄を付ける方法はあると思って。どっちも正しいとしたらどうなんだろうっていうところからスタートしてて、どっちも正しいとしたらどっちもあるってことだなって思って。たまたまその時とっていた量子力学の入門の授業でその時に両方存在しうるというか両方存在している可能性があるんだけれども、人間の尺度ではそれをどっちかと明確に区別することはできないみたいな話があって。

ーなるほど、その資料に示された結論についても軽く触れていただけいてもいいですか。

そうですね、結論としては中学生か高校生かみたいな言っちゃえば矛盾している部分はあったんですけど、それは見たいものの方でいいんじゃない、個々人が見たい方でいいんじゃないかなって思ってて。その方がこう、人間ってやっぱりその時はそうだったとしてもまたそのシチュエーションとかその時の気分と言うかコンディションによって思うことが違うことってやっぱりあると思うんで、その時によって違うっていうのは人間らしさみたいなところが逆にその方があるかなと思ってて、中学生と高校生を気分次第で変えられるとめちゃめちゃ困っちゃうんですけど、実際に具体的にこの事象で矛盾があるからってことじゃなくていろんな見え方があったらいいんじゃないかなみたいなところでどっちでもいいんじゃないですかっていう結論にしたくてそういう議論を引っ張ってきたみたいなところはありますね。

 

 

・今後の展望

ーでは次の質問にいきたいと思います。今後の展望ですね。この発表がなされて結論までまとめられたと思うんですが。

はい。

ーこの後さらにちょっと手直ししたりだとか、もしくは拡張したりだとか、そういう目標とかありますか。

どうなんだろう正直結構一発ネタっぽいところがあるので、これから本格的にそこを使っていくと多分僕の知識の問題もあってどっかで頭打ちになるので。

そういう論理的に、論理的というか量子力学としてめちゃめちゃ掘るってよりは学術論文的なフォーマットを使って遊ぶっていうことが、僕としてはどちらかと言うとメインだったので、その方式で同じようなフォーマットを使って色々書いて学会誌っぽい感じにする遊び方の方がいいかなと思っていて、あんまり深入りすると僕の知識の問題で、正しく知れば「いやこれ全然ちゃうやん」って多分なると思うし、よく知らないからこそこういうことを適当に適当なこと言えてる部分があると思うので、深く掘るっていうよりは幅を広げていった方が遊びとしては楽しいのかなと思っております。

それから、これとはまた別の観測者効果の話で、人間は光を観測する視覚というか光の反射に頼っているという時点で量子の動きというか光によって物体が動いてしまうゆえに場所が正確にここだと決めることが出来ないという話があったと思うんです。人間は物を観測するために反射してくる光を見て物を捉えてると思うんですけど、その光が当たることによってその物質が移動しちゃってるから、その部分のゆらぎは絶対に許容しなきゃいけないみたいな、はっきりしない部分があるみたいな話をたまたま知って、いわゆる解釈って実はそれに近いんじゃないかと思ってて、そういうところをうまく整理できたらいいなと思ってます。

ーおぉ、なるほどありがとうございます。

 

・犯行動機 

ー次に犯行動機を伺っていきたいのですが、まず一つちょっと気になったことがありまして。先ほど発表内容について伺ったんですが、両方正しいと仮定すると量子力学を持ってくるっていうその手段に繋がるわけじゃないですか。

はい。

ー何故両方正しいとしたかったというのがちょっと気になっているんですよ。

なんだろう、所謂解釈違いって最近結構ワードとして出てくることがまたちょっと増えてきたかなと思うんですけど、僕はあんまり解釈違いっていう言葉が好きじゃなくて。

ーはい。

それはなんでかって言うと、多分それもさっきの話と似てくるんですけど、人間絶対こうみたいなことってあんまりないと思ってて、なのでこの時はこうだったけど今はこうだから別の答えになるみたいなことってままあると思っていて、なので今までこう言ってたんだからこうならないのおかしいじゃんみたいなそういうのってちょっと勿体無いなって思ってて、可能性を狭めちゃってるんじゃないかなっていう気がしてて、なので設定的には中学生なのか高校生なのかくらいは統一してくれよとは正直思うんですけど、でもそういうちっちゃいところでも両方あった方が可能性が広がって面白いんじゃないかなっていう意識が根底にあるんで、じゃあどっちもあってるって事にすればいいんじゃねって思ったのが始まりというか。両方あった方が両方のパターンを作れるので美味しくない?という単純にそれだけの話なんですけど。

ーありがとうございます。これは答えていただかなくても結構なのですが、専門で理科をなされている方ですか。

一応大学で機械力学やっててそれの必須と言うか必修の中に量子力学のさわりをやるっていうのが入っていたのでたまたま手元に量子力学の入門の教科書があったからこれやってみっかなぐらいな感じでした。なので専門に量子力学をやっているってわけじゃなくてたまたま触れる機会があったくらいですね。多分本当に真面目にやっている方はこういう使い方はしないと思うので。

ーなるほど、ちょっと気になったのがあえてゆらぎを楽しむと言うかどっちでもいいじゃんっていうスタンスが逆に理科っぽくないだと言うか。理科を使うっていうのも、自分もアイマス学会系列で理科を使ったことがあるのでなんとなくやりたくなる気持ちは分かるんですけど、敢えてそこを一般化しようだったり明確にしようだったりではなくゆらぎのまま楽しもうというスタンスが面白いなと思ったんですが。なんでしょうか、面白い方だな、と。なぜどちらか決めなかったのか、と言うとさっきの答えになってしまいますね、何故かなと思ったもので...

自分が学校でなんかやってる時はやっぱり答えのある作業の方が正確・明確に答えがあるほうがいいなって思うんですけど、人間のいいところってそういう答えが一つでないところだと思っているので。自然は、というか科学は答えがわかっているというか学校でやっている作業とか自分のやってる仕事としては答えは一個の方がありがたいんですけど、ただ趣味なんで色々あってもいいのかな、みたいな。その方がリラックスできるというか気疲れしなくていいかなって。遊びだからって言うところが多分あるとおもうんですよ。これが多分仕事だったらいや答え決めてくれよって思うんですけど、遊びだからそれでもいいんじゃないっていう意識があるんだと思います。

ーありがとうございます。個人的にはすごい重要だと思います。たくさんいるプロデューサーの中でのめろんソーダさんの立場を明確にする上ですごい重要な観点なんじゃないかなって感じました。温泉さんあたりが多分突くと思います。

(笑)。

 

・私的P観

ー最後にプロデューサー観、アイマス観という物を伺っていきたいのですが。

はい。

ーどこから聞こうかなこれも…まず一つ、これはTwitterでオファーをかけさせて頂く時にも申し上げたのですが、観測状態Aとしての中学生柚がいるわけじゃないですか。同じく観測状態Bの高校生柚がいて、観測してない状態の柚の何て言うか過渡期みたいのが存在するじゃないですか。

はい。

ーAからBになる間ってどんなものだと思いますか。観測できないからしゃーないって言ってしまったらそれまでなんですけど、どんなものだとお考えでしょうか。

あーそうですね、要するに柚の元になるイデアみたいなものが多分あってそれに光を当てることによってその姿を、例えばカードのイラストとかセリフとか曲とか色々な形で出てくると思うんですけど、元は一個あるんですけどただそれって見方が多分色々あるんで、その光の当て方だと思うんですね。ただ僕からは僕の立っている位置からしか光を当てられないわけじゃないですか。

ーはい。

ただ、僕じゃないその立ち位置が違う人から見る光の当て方だとまたちょっと違う姿が見えてきますよね。だから移り変わるっていうよりは元があってそこをどういう切り口で見るかだと思うんですね。それが正しい正しくないじゃなくてそれはそこの角度から見たらそう見えるんだから正しい正しくない以前にそういうもので、だから、それは移り変わるというよりもそれをどこから見てるかっていう捉え方の方が近いかなと思っています。だから解釈は幅があっていいと思ってるし、そういうものかなと思います。

ーちょっと飛躍しすぎて怒られるかもしれないんですけど、その考え方ってそのなんだろう...アイマス世界と言うか、まあアイマスの空間ですかね。そういう実体があってそれに光を当てて観測して各プロデューサーが見えているものがその人が今見ているアイマス世界だっていう感覚であってますかね。

はい、まあその人には多分その人の世界があるんで、それは正しい正しくないじゃなくて幅だと思うのでその人なりの見え方があるのが良くて。特にシンデレラなんかはプロダクションの名前から自分たちで決められる訳なので、そういう解釈の幅を持たせて、遊び方はまあどういう感じでもいいんじゃないみたいな感じでこっちにぽいって投げてきてくれていると思うし。それはある程度公式の供給としてこういうことがありました、こういうことがありました。っていう断片は色々降ってきてはいるんですけど、それをどうつなぐかはこっちの遊び方次第なので。それはそういう遊び方をしていいって言われてるコンテンツなので、そういう遊び方をしたほうが楽しいのかなっていう感じですね。

ーもう一つ今の話から気になったことがあるのですが、となると公式っていうものはそのアイマス世界そのものですか。それともその光が当たっている側面ですか。

あー...そうですね。

ーコピーしてきているのか、それとも光が当たっている部分の写真を撮ってるのか、どっち?と言われたらどうでしょうか。

でもどっちかっていうと、確かに公式の供給は根源っていうかイデアに近いとおもってて、それをどう読むかによって多分こっちの...公式の供給によってこっちの心がどう動くかっていうのはこっちの勝手というか、だと思うんですけど、出てくるものに関してはやっぱりどちらかと言うと根源に近いのかなと思います。ただやっぱり作っている例えば曲とかも作っている人がいるわけでそういう人にしてみればその人の解釈のフィルターを通った上で出来ていると思っているのでそこはちょっと難しいですけどね。公式の人の書いているのが全てだって言っちゃえばそれまでなんですけどそれも公式も一人でやっているわけではないのでそこは見え方がどうかというところかなとは思いますけど。

ー公式は根源に近い存在、ですか。それは公式が発した情報が根源に近い、という事でしょうか、それとも私たちが公式から受け取る情報がという事でしょうか。

おそらくそれ(公式の供給)は根源なんですけど、根源からの光を受け取るわたしたちの方の問題で、どうしてもそれを解釈してしまうので、公式の供給が本当に根源なのかを検証することができないんですよね。なので、”おそらく”公式の供給は根源だと思っています。

ーありがとうございました。

 

ー(温泉卿)先ほど公式の供給はイデアに近い、とおっしゃられていましたが、イデアたる公式の供給の範囲について詳しくお聞きしてもいいですか?

ここでいうイデアの部分っていうのは、アイドルという人間そのものになると思いますが、公式から発信されているもので、ゲーム内でそこにアクセスすることができて、そこにアイドルたちが出ているのであれば(たとえば姿が映り込んでいるだけだったりしても)、それは公式の供給になるんじゃないかなと思っています。

ー公式の供給がイデアと、公式の供給の中にイデアがある、ではかなり差異がありそうですが、どちらになりそうですか?

公式の供給というものが、わたしたちに発信される前の原点の位置にあるものであればイデアといえるでしょうし、わたしたちが「これが公式の供給だ」と感じたものであれば、いわゆるイデアの似像ということになるんだと思います。

 

・取材後記

理科的な思考傾向をしているのかなと思えばそうでもなかったり、量子論のお話かと思えばイデアアイマス学会頻出単語)というワードが飛び出したりとインタビュアーも驚かされっぱなしの回でした。そろそろ「公式」の定義を考える必要があるかもしれません。

 

次回は恒河沙さんにお話をお聞きします。公開は【 3/20 】予定です!

 

(文責:Lotus)

 

 

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