頓痴気号漂流記

一人で工廠を名乗る不届き者。

狂気の弁明#10 (前編)

学会発表者の狂気に迫るインタビュー、第十回は北九州に送り込まれた幽谷霧子学会の刺客、katariyaさんに来ていただきました。
Twitter:@katariya
ブログ:https://katariya0116.hatenablog.com/entry/2019/12/22/171206

 

アイマスとの出会い

―はじめていきたいと思います。katariyaさん、よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

―まずはアイマスとの出会いという形でアイマスとの一番最初の接触がどういうものだったのかっていうのをお聞きしたいんですけれども。
そうですね、僕がやり始めたのがアーケードの頃からなんで、もうかれこれ15年くらいなんですけど。まあゲーセン行ったら社長に声かけられたっていうのが一番最初になりますね。その頃って所謂ギャルゲーだったりとかが割と華やかなりし頃とというか、色々KeyとかLeafとかが出てた時代なんで、本当にギャルゲー文化みたいなのが隆盛だった頃だったんですね。そこでなんか実際にゲーセンでやるのマジで言ってるの?みたいなところがちょっとあったんですけど。ギャルゲーって家の中で一人ぐへへって言いながらやるようなものなんで。これをゲーセンで衆人環視の前で俺はやるのか?っていうところからスタートなんです、アイマスのアーケード版って。だけどとりあえずやってみようというので、というのがアイマスとの出会いですね。

―なるほど。アーケードを触ってみようと思ったきっかけは何だったのですか

やっぱり新しかったんですよね、その当時で見ると。僕自身が結構ゲームが好きでアーケードもやるしコンシューマーとかもやるんですけど、その中でアーケード筐体の中でカードが当時あったんですよ、プロデュースカードっていう。ああいうカードをやるって言うのは新しかったんですよね。そこで実際にそのアイドルが踊っているライブシーンを写真に撮ってカードに印刷できますっていうの画期的だったんですよ。そのギミックが面白いっていうのもあったし実際にやってみるとたしかになんかオーディションの読みあいなどが骨太でできるって言うのが面白くて。実際にやってみようっていうのが最初っていう感じですね。

―なるほど。アイマス以前からこうゲーセンとかにはよく行かれたんですね。

そうですね。だから音ゲーとか、ゲーセンに置いてあるそういうネットワークゲームとかが丁度出始めたぐらいの頃だったんでやってましたね。

―ではアケマスから入ってこう現在までの経歴みたいなのを教えてもらっても大丈夫ですか。

そうですね、基本的にはアケマス出たての頃からやりはじめてしばらくやったりしてたんですけど、当時キャバクラメールってファンの中で言われていたシステムがあったんですよね。すげー重いメールがアイドルから来るっていう、で実際にゲーセンに行かないとこのオーディション勝てないからねっていう風になっていて。その時間に行かなきゃいけないんだけど、普通に授業中だったりとかバイト中だからいけねえよみたいなのがあってちょっときつくて少し離れてたんですよね。丁度その後くらいにニコニコが出始めたんですよ、ニコニコ動画が。でそのニコニコ動画アイマス動画がいっぱい上がってくるわけですよ。その時XBOX版が出た関係で、XBOX版の動画を日がな一日見るみたいな、大学生だったんで暇を持て余した時だったんで。もうその頃はずっとニコマス見てましたね。ゲームはちょこちょこ買ってはいてSPやDSとかをやっていて。ライブに行き始めたのがだいたい4thの年のクリスマスパーティーかなんかが1番最初なのかな。いや4thだったかなぁ。当時東京ドームシティ辺りでやっててライブとか行ったことなかったんでそこで実際に入って天海春香役の中村繪里子がIwantの歌い出しでとちるっていうまさかの事態が発生したりとかして(笑) 。ちょっと記憶がそこらへん曖昧なんですけどなんかそういうのを見たりとかしてあライブ面白いなって思ったんですよね。結局そっからは基本的にライブは参加して、デレもミリもやったしSideMもやってて、でシャニマスが新しく出るっていうんでやって、という感じでほぼほぼそっからもうずっとライブもゲームも基本的に追っかけてるっていう感じですね

―あー、じゃあもうアイマス全体を全部。

そうですね。一通り全部やってるような感じにはなります。

―因みに今現在このブランドに力を入れてますみたいなのってあるんですか。

まぁ色々ありますけど、少なくともSideMとシャニに関しては結構力を入れてますね。やっぱりSideMの方はゲームをがっつりやってるって言うのと、あとシャニマスはシナリオを追っかけるのが楽しいなっていうので。後はデレもミリシタも基本的に担当が来たら走ってちゃんとカード取るくらいのことはやってるかなっていう感じにはなりますね。

 

・担当や推しについて

―なるほど、わかりました。ありがとうございます。続いて、では担当や推しについて伺っていきたいんですが、まず担当について伺ってもいいですか。

はい、これ担当ってあれですよね全ブランド言った方がいいですかね。

―そうですね、全部お願いします。

ASの方だと如月千早で、デレだと東郷あい、ミリオンだと宮尾美也でSideMだと水嶋咲、でシャニマスだと有栖川夏葉になりますね。

―なるほど、分かりました。では推しについても教えてもらっていいですか。と言うかその前に推しという概念は存在しますか。

あ、はい、しますします。大体僕の中では担当推し性癖まであります。

―あー、三種類あるんですね。

えっと、デレだとヘレンさん、でSideMだと卯月巻緒ですね。でシャニマスだとそうですね、まあ幽谷霧子がやっぱり推しかなと言った感じですね。

―分かりました。では担当と推しの間に明確な差っていうのは存在しますか。

まあどれくらいガシャを回せるかとかそういう基準にはなってしまうんですけど、なんだろうな、こいつは担当しないとダメだなっていう人とこれは担当しなくてもいいけどこいつが踊ってるとか歌ってる姿見たいなっていう違いだとは思ってますね。担当するっていうのがおそらく僕の中で何か基準があって。それは「あ、こいつはプロデューサーがいないとダメだな」っていう人間に関しては担当しようって感じになるんですね。で、自分がなにかコメントできそうだなっていうところがある人間に関しては担当しようかなっていう感じになるんですけど推しに関してはそれで完成されているからそれを見たいみたいなところがあって。特にその傾向が強いのがヘレンさんなんですけど、ヘレンさんってぶっちゃけプロデューサーいらないかなと思ってるんですけど、でもヘレンさんがライブに出てる姿はすげー見たいんですよ。

―見たいですね。

それで「世界」が変わるんで、そこは見たいんで推しかなって感じです。

―なるほど、分かりました。ちなみに先ほど担当・推し・性癖という差があるというふうにおっしゃっていましたけど、性癖については触れても大丈夫ですか

あ、大丈夫です。そんなに変なことは言わないんで。性癖だと和久井留美っていう子がいるんですけど、なんですかね。僕の好きなシチュエーション的に酔っ払った女の人がくだを巻いているってのが凄い好きなんですよ、居酒屋で。で、和久井留美デレステのメモリアルコミュ1がそれなんですよ。で、かつあの女の人に関しては何か嫌なことがあった時にバッティングセンターで三振するっていう噂があるんですけどもそれが超好きでこれはライブ見たいとかそういうんじゃなくても単純に好きっていう感じなんですね。人間性と言うか滲み出てくるキャラクター性みたいなのがもう単純にツボを押さえられてるところがあるって感じですね。

―そうすると推しと性癖の差っていうのはそういうところになってくるわけですよね。

そうですね、だから結局アイドルとしてみたいのかそのキャラが好きなのかって結構違うかなと思っていて。

―なるほど、分かりました。

 

・発表要約

―続きまして北九州学会でされた発表の要約をお願いします。

僕のやった発表っていうのが、シャニマスにおいて幽谷霧子っていうL'Anticaのアイドルがいるんですけれども、その幽谷霧子がものに対してさん付けをするっていう特徴があって。でそのさん付けっていうのが実はルールがあるよっていう問題が提起されていて、それがまぁ幽谷霧子さん付け問題っていうやつだったんですけど、これは要はそのシャニマスの実際のプロデューサーである高山Pから、実際に幽谷霧子はそういうなんかの基準を持ってさん付けをしてるよっていう話が感謝祭の時にありまして。でその「さん付け」のルールっていうのはどっからどうきてるんだっていう話が主題です。「さん付け」っていうの霧子にとって役割の主体である存在というのに「さん付け」を行う。例えばカップが割れる前にはカップだったのに、カップが割れて「フラワーポッド」になった瞬間に「フラワーポッドさん」という呼び方になる。それは彼女の認識においてカップが物語性の主人公になったからなんですよね。それを踏まえた上でその「さん付け」というものを考えた時に、フランスの哲学者であり数学者で私の推しでもあるデカルトの「我思う故に我在り」っていう概念が【我・思・君・思】というカードで接続されていて。そこから幽谷霧子の「さん付け」っていうのがデカルトの孤独を救っているというお話ししていった、という感じの流れになりますね。ここのデカルトの孤独というのは、「この世が全てが嘘だった時に最後に残った自分の孤独」というものです。デカルトが唱えた「我思う故に我在り」という概念は「世の中の全ての事象を疑っていった先に最後に疑っている自分は残る」という概念で、いわばこの世の全てが偽物であったとしても最後に自分が残るって話なんですよね。その考えに立つと、人間っていうのはとても孤独な存在となる。ただ彼は実は修道院に入っていて神様というものも同時に信じていた。デカルトは上記の概念で「完全なる神」の存在証明をしようとしたのですね。人間は偽物かどうか悩んでいる時点で不完全であり、自分の連続性っていうのは保証出来ない。次の瞬間自分以外が嘘になる可能性があるので世界が連続して存在することを保証できない。だから、その連続性を保証する存在として神様って必要だよね?という理論を立てたんです。現在では結構オカルトチックな考え方ですよね。しかし幽谷霧子はシナリオでデカルトに「さん」をつけて、「デカルトさんおやすみなさい」と言ったことで例えこの瞬間が世界が夢で消えたとしてもデカルトという物語が続くことを願った。ここにおいて幽谷霧子はデカルトにとって神様の似姿、すなわち「偶像」となっている、というところにこのコミュの本質があるというお話でした。

 

・今後の展望

―わかりました。ではその発表について今後の展開っていうのは考えていらっしゃいますか。

そうですねあの幽谷霧子に関しては今カードを2枚ぐらいすでに出ている状態、まあp-ssrで出ている状態なんですね。実際にその発表の一番最後で限定ssrくるよね、で、多分幽谷霧子にとっての家族と死の話になるんじゃないかっていう風にしてたんですよね。それで、最初に来たやつ(鱗・鱗・謹・賀)が所謂おばあちゃんから受け継ぐとか引き継ぐっていう概念の話になっていて、その着物をおばあちゃんからもらうみたいなコミュになっていたんですけれどもその引き継ぐって概念って実はあんまり西洋の哲学ではないんですよね。西洋の哲学っていうのは基本的に宗教観がキリスト教なんで、所謂その今の人生を歩んだ上で最後の審判に向けて良い人生を歩もうっていう感覚なんですよね。なんだけど、受け継ぐとか輪廻するとかっていうところって所謂東洋哲学の方の分野になるってところがあって、幽谷霧子のこないだ来たきんきん... ちょっとカードの名前の読み方がわからないのも幽谷霧子の特徴なんですけど、こないだきたカード(琴・禽・空・華)が所謂輪廻転生のお話だったんですよ。カードの名前にクウゲ、空の華って書いて空華って読むんですけどそれが仏教用語でありもしない妄想だったりとかありもしない夢にとらわれるっていうニュアンスなんですよね。その空華とかその輪廻転生みたいな価値観を通して幽谷霧子っていうものがここから未来へどういう風に進むべきかっていう話を輪廻っていうところを踏まえた上で語るという事をやっていたんですね、この間のカードが。限定だったんで相変わらず誰も読めないんじゃないかこれって思ったんですけど(笑) まあそのあたりの話とかは今度どっかでできたらいいかなーとは思っていて。

―是非聞きたいですね。

今霧子ってp-srとかも出てて、でp-sr(君・空・我・空)でクオリア*の話をしてたりとかしてて。

―そうなんですか。

あなたが見てるものと私が見てるものって同じじゃないけどそれを共有できることに喜びを感じるよっていう話をしてたりだとか、これ三峰とのカードであるんですけど。なんだけどその所謂幽谷霧子っていうか我思う故に我あり、自分一人の世界観だったものがそこからちょっと広げてクオリアっていう共感の世界とか共有の世界っていうものになって更にそこからもう一つ広げて東洋とかの方に行って自分の行いっていうものが社会に与える影響が、でもそれは輪廻転生でいつか幸福になるしいつか不幸になるしっていうのは禍福は糾える縄の如しっていう所謂ある種の仏教観ですよねの中に納まっていっているよっていう流れが今霧子のカードで出来てるんですよね。なんで所謂西洋哲学から東洋哲学にいってその東洋哲学で霧子の今のp-ssrがいっているからその哲学の流れみたいなものが結構今霧子のカードを追っていると出ているよっていうところがあるっていう形の話とかもなんかできるかなとは思っています。

―すごい…

はい。なんでそういうのは発展性として霧子の今の現状どうなってるのっていうところでお話ができるかなというのはちょっと思っていたりはしますね。

 

・犯行動機

―めちゃくちゃ面白そうじゃないですか(笑)。分かりました、ありがとうございます、では続いてその北九州学会で発表された内容の動機っていうのがどういったものかっていうのを聞かせていただいてもいいですか。

あれですね、八割がた趣味ではあるんですけど。シャニマスの中のモチーフって言ってしまえば、そのアイドルの本質はぶっちゃけモチーフを知らなくてもちゃんとわかるようになっている。だけどそのモチーフを知ってるともうちょっと楽しくなるよっていうところの話をしたいなっていうのがまずあって。知っとくとニヤッとできたりとかなるほどねみたいな感じで楽しめるっていうのって、それって何でしょうね、こういう言い方が正しいのかわかんないですけど、1つの「教養」だと思うんですよね。なんで実際シャニマスの文章を読んでてこのモチーフの元ネタってなんだろうって言って探って哲学だったり小説だったりとかにアクセスするっていう人って結構多いんですね。だから元ネタにアクセスすると、物語からもっと奥まったところにあるものに繋がるんですよ。それって結構人生を豊かにするよねっていうところが伝えられたらいいなという風に思っていて。それは別にその楽しみ方をしろっていう話ではなくて俺がこういう風な楽しみ方をしてるんですよねっていうところを伝えたかったっていうのが発表の動機かなっていうところではありますね。

―ちょっとこれは私の個人的な疑問なのでオフレコでも全然大丈夫なんですけど、大学とかでそういうものを専攻されていたりしたんですか。

大学は文学部で小説書いたりとか読んだりばっかしてましたね。ただ小説とか戯曲なんかを読んだりした時に、結局、その中で宗教観だったりとか何かしらの哲学だったりとかをちゃんと引用していたりして。で、その源を探るっていう行為はしなくちゃいけない。なぜその台詞が出てきたのか、なぜその台詞を書かなければならなかったのかっていうところが分からないといけない。なんでその関係でずっとそういう哲学書だったりとかっていうのまでさかのぼって読んでたっていうのはあったっていう感じですね。

―何でしょう、専門的な教育を受けてらっしゃったようなものですよね。

まあ、とはいえ僕も哲学科っていうわけではないんで。本当になんかあの門前の小僧みたいな…

―いやいや…

読んだこととかははあるんですけど本当に専門とかでは全然ないんで詳しいとは全然言えないんですけど(笑)ある程度知ってるよくらいの感覚ですね、個人的には。

―そういうバックグラウンドがあったんですね。ここまで個人的な質問で申し訳ないんですが。じゃあやっぱり犯行動機としても今までやってきたことを趣味で適用してみたらとっても面白かったぞみんな見てねっていう感じが強かったんですかね。

そうですね。まあこの読み方って実は誤読とかもいっぱいするんで個人的にはあまりいい読み方じゃないかなと思うんですけど、僕はこの読み方をする奴は悪いオタクだといつも言っているんですけど、だから作者そこまで考えてないと思うよっていうところまでいくオタクがいるじゃないですか。自分もそうなっちゃってるかもなあと言うのは常に危機感としてあるんですけど、まあでもそれはそれとして楽しくなるよねっていうところはありますね。

―わかりました、動機としてはやっぱりそれが一番大きい理由ですか。

そうですね

―他には何か動機はありましたか。

デカルトってすごいのよっていうところを伝えたかった、はい。みんなデカルトやろうぜデカルト方法序説読もうぜと言うところがちょっとありますね。

―なるほど、ありがとうございます。では次に私的P観に入っていきたいんですけれども...(後編に続く)

 

・注釈

*:和訳するならば、感覚質。意識の主観的部分。たとえば、砂糖を口に含んだ時に感じる「甘さ」という感覚は個人差があるだろう。そういった主観的「感じ」を指す言葉である。心を一種の計算機としてとらえる機能主義に対する批判材料として使われることがある。

・編集部注

余りにも濃い内容だったため前後編に分けさせていただきます。読者の皆様並びにkatariyaさん、申し訳ありません。

次回、katariyaさんに私的P観を伺っていきます。公開は【五月初旬】予定です!

 

 

(文責:Lotus)

 

 

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