頓痴気号漂流記

一人で工廠を名乗る不届き者。

狂気の弁明#4

学会発表者の狂気に迫るインタビュー、第四回はICMAS2020の主催者であるNestleさんに来ていただきました。
Twitter:@mhcp001 ブログ:https://mhcp0001.hatenablog.com/

 

アイマスとの出会い

―(Lotus)まず、アイマスと出会った時はどのようなものであったか教えてください

これは、降ってきたという言葉をよく使うのですけど、「アイドルマスター」という単語がパッと思い浮かんだ。その言葉だけをもとにしてインターネットで調べて、その時に「アイドルマスター SP」(以下SPとする)というゲームがPSP the Bestで出たということを知って買いに行った。その時偶々手に取ったのが「アイドルマスターミッシングムーン」でした。最初に如月千早をプロデュースしたのですが、なかなか…すごい難しい子なので…プロデュース全然できなくて、非常に申し訳ないのですけど、途中で諦めてしまって、あずささんで一度最後までプロデュースして、慣れてからもう一度千早をやって、千早を最後まで、優勝というところまで持っていくというのはやっています。
千早をプロデュースしていた時期に、モバゲーの中でアイマスのサービスが始まったのでそこからシンデレラガールズにはまりました。その後、音ゲーにはまり、アイマス音ゲーが出るぞとなったのでデレステとか...色んなアイドルマスターという深みに入っていった感じになります。

―ありがとうございます。ちなみに、今やっているゲームってモバマス、デレマス以外に他に何かありますか?

今だと、アイドルマスターシャイニーカラーズがかなり僕の中では力を入れてやっているというところはあります。

 

・担当や推しについて

―では、担当や推しについて。まず、担当は誰、推しは誰というのを教えてください。

担当はシンデレラガールズから北条加蓮、シャイニーカラーズから大崎甘奈と黛冬優子、で765プロダクションから如月千早の四人です。推しがシンデレラガールズから桐生つかさと佐藤心、シャイニーカラーズに関してはアルストロメリアとストレイライトが一応推しという風に言っているのですが、trueを取ってしまうと全員推しなので実質283プロダクション箱推しというところがあります。であとはミリオンで最近ちょっと所恵美ちゃんがかなり気になっていて、それも推しですね。

―担当と推しはどのように使い分けていたりしますか?

担当はその子の人生に責任を持てるか、というところを僕の中で基準においていて、そのくらいその子に対してひとつ特別な感情を抱いて、接することができるかというのが一つ基準です。で、推しは基本的に「好き」なんですが、好きになりがちなところとして、何かしらの形でアイドルかもしれないし、生き方みたいな所に、強い意識、意志みたいなものがあって、そこの意志に対して自分が共感できる、というのがひとつ大きな好き、推しになるときのポイントなのかな、という自己認識があります。

―ありがとうございます。ちょっと気になったのが担当として如月千早を挙げられていましたが、最初に触れたときは正直結構苦手だったのかな、という印象を受けたのですが。

そうですね、全然好きじゃなかったんですよね(笑)。もちろん難しかったんですよ、難しくて、やっぱりその当時慣れてなかったというのもあるので、「なんでこいつ服変えたらテンション下がるんだよ…」とかすごい思ったりしたんですけど、後からあずささんをプロデュースして慣れると、千早をやった時にもこういう風に動いたらいいんだということがわかってくる。それを乗り越えていくと、千早はこういう気持ちでアイドルというのをやろうとしている、とか、こういうことはいやなんだな、こういうことをやりたいんだな、というのが見えてくる、その行動指針が見えていくと、「そりゃあ確かにあの時こういうことやったら怒るかもね」と納得感というものが得られてくると、さっき言ったように推し、好きと思うときに、何かしら強い思い、意志みたいなものがあってそこに共感できるところがあるので、そもそもそこについては千早に共感していた部分があったので、そこに納得感が得られたら速かったですね、あっという間に堕ちました。

 

・発表の要約

―ありがとうございます。では、早速ですがアイマス学会の発表について伺っていきたいと思います。Nestleさんはご自分で企画運営されていましたICMAS2020で発表もなされていましたが、そのダイマ方程式という概念を提唱されてました。これについて説明していただきたいのですが。

はい、ありがとうございます。ICMAS2020では「実在性プロデューサー」というタイトルで発表の方をさせていただきました。そもそも我々今プロデューサー(以下原則としてP表記)と名乗っているわけなんですけど、それってペルソナというものを被っている、仮面をつけてPに扮している状態であると思っていて、でそのペルソナって抽象的なペルソナなのか具体的なペルソナなのかというところがあると思っていて、シンデレラガールズのPのペルソナというものが非常に抽象的なんですね。で、そもそもシンデレラの、モバマスの話をしていますが、モバマスってすごく情報量が少なくて、Pという設定は与えられているが、その中に性別が規定されているわけでもなく、セリフがどうかというのもない、なのでそこに解釈の余地というものが生まれてくると思っています。なので、各プレイヤー、ここはあえてPではなくプレイヤーと呼びますが、各プレイヤーはそれぞれ担当しているアイドルや所属するプロダクションが異なっていて、そこにいるアイドルというのは、僕が所属しているプロダクションは僕のプロダクションだし、そこに所属している育てたアイドルは、例えば同じ北条加蓮だとしても、僕の育てた北条加蓮と誰かが育てた北条加蓮は別の存在だという風に規定できるじゃないかと、それはもともと僕が考えていたところなんですけど、そういう風に解釈できるんじゃないかと考えていて、それを言葉で言うとすごい長くなっちゃったので、数式にエイヤとおいて、それぞれのアイドルを持っているPがその子の話をするという風に考えるとどういう数式にできるのだろう、というところでダイマ方程式というものを作りました。ダイマ方程式は、ダイマをしているときに、XさんがYさんに対して何かしらのダイマをしていたときに動くその情報の流れを表現している、そういう方程式なのですけど。

                Ay’=Ax+Ay+b 

(A:仮定した対象アイドルの実像 b:認知の歪み定数 Ax:Xさんの対象アイドル像 Ay:Yさんの対象アイドル像 Ay’:ダイマ後のYさんの対象アイドル像)

で、そのXさんが持っているイメージ、対象アイドルの尊みと僕はいいましたけど、そのアイドルのイメージというものとYさんが持っているアイドルのイメージというものは違うものだという風にこの数式ではもう定義していて、違うものなんです。また、XさんがYさんに伝えると、言語のフィルターや解釈によってイメージが変化してしまうんです。これを踏まえると、あるアイドルに対してその人が持っている考え方やイメージというものを人に伝えるときには、そもそもその人が解釈をした結果というものがあって、その解釈した結果を言葉にして伝える。それを別の人が自分の解釈のフィルターを通して受け取るというところで、イメージというものが書き換えられるタイミングが三回ある、という風にそのダイマ方程式の中では言えると思っていて。で、そうすると同じダイマを喋っているはずなのに全然違う受け取られ方をされることもあり得るというところもあるし、そもそも大前提として持っているアイドル、北条加蓮とかに対してのイメージも全然違っていいんだよね、数式の定義上違うのだから違うものでいいよね、という風におきたかったのですね。なので、色んな解釈があって、それは全部いいものだから、是非聞かせてくださいという形で、あなたが持っているイメージを知りたいんです、というところであなたの担当アイドルについて教えてくれませんか?という形で発表というものを最後に締めくくって終わりにしました。

 

・今後の展望

―なるほど、ありがとうございます。ICMAS2020を開かれていたわけですが、今後開きたい学会はありますか?

そうですね、ICMASは学会ではないという風に僕は思っているのですけど。まぁ2021についてはぜひやりたいなぁと思っていますし、シャイニーカラーズというところに最近力を入れているので、シャニマスの学会についてもやりたいと思っていますし、あとアイドルマスターってすごく曲が魅力的なので楽曲に対しての学会なんてものもやりたいなと思うんですけど…

―いいですねそれ

そう、めっちゃやりたいんですけど、楽曲の話をするとなった時に、どうしても流さないとわからないですよね?

―流したいですねぇ…

そうすると、諸々の情勢でオンラインでやるとなると著作権的な問題が何かに引っかかってくるので、ちょっとなかなか難しいですがいずれ何とかして色々うまい方法を見つけてやりたいなというのはありますね。それこそ権利を申請するとかね、でもいいからやりたいなと、あと事務員さんが好きなので、小鳥さんとかちひろさんとかね、その事務員さんに対してそれぞれの解釈を語り合う学会のようなものもあったら面白いなという風には思っていて、やりたいことはいっぱいあります。

―では、今後ご自身がアイマス学会やそれこそICMASに参加される中で、ダイマ方程式を更に発展させていく狙いとかはありますか?

ダイマ方程式を発展させるという意図は正直なところなくて、なんでかというとそのダイマ方程式というものを考えついて作ったというのは、そもそもICMAS2020というものを開くうえで、僕の中で一個シンプルなメッセージを込めていて、発展させていってより複雑にしていくことはあまり考えていないです。発展の方向性はあるかと聞かれると、ないというのが解答になります。

 

・犯行動機

―シンプルなメッセージというのはというのは何なんでしょう?

ICMAS2020というのは第9回シンデレラガールズ総選挙に向けた各Pが自分の担当アイドルをダイマする場として作ったのですけど、もともと僕担当の北条加蓮について同じ同僚の加蓮Pと何度か話す機会があったのですけど、同じ加蓮Pでも全然解釈が異なってくるという経験が結構あったんですね。でそれは決して悪いことではなくて、「あ、そういう解釈があったんだ、それ面白いね」みたいな、むしろプラスの方向なんですけど。全然違うことを同じカード同じセリフ同じ服から得ているんだなということに気づいて、それは一個の大きな発見だったんですね。それを受けて、ダイマ大会を開くとなると、解釈違いはほぼほぼ間違いなく起こる、それに対して何かマイナスの感情を抱いたり、あるいは言ってきたりする人がいるかもしれない、という風に思ったので、最初にここはそういう場です、皆がいろんな自分の解釈を話す場です。なので、「あなたにとってそのアイドルの解釈というものは尊重されるべきものであるし、存在するものでもあり、それは一つのあり方です。ただ、誰かが喋っている別の解釈も両方とも存在してよくて、その一個一個の解釈というものが集まってある意味一つのアイドル像というものを作っているんじゃないでしょうか」という考えを落とし込むと、皆違って皆いいよね、と。個々の解釈は否定できない、もし自分が受け入れられないんだったら、存在を否定せずに自分は受けいれませんでいいじゃない。それをまずICMAS2020の中ではこういうルールではないですが、そういうマインドセットでいてくださいということを言いたいと思ってダイマ方程式という一つシンプルな形に落とす、ということをやったんですよね。

―となると、いわゆる定式化が目的なのではなく、手段としての公式化が目的だったということですか?

そうですね、式を作ることが目的ではなくて、メッセージを伝えるときにこうしたら伝わりやすいだろ、という(笑)

―伝わりやすいんですかね、公式…

それは理系人間のよくないところがでているというかなんというか…

―なるほど、もしかしてそのICMASの発表順としてNestleさんが最初にダイマ方程式、実在性プロデューサーについての発表をしたのも、それが狙いだったと

そうですね、自分を一番に据えてこういう発表をしたのは完全に狙いがあって、この会の場の一番最初の発表というのはこの場の空気を、雰囲気を作るものだと思うので、こういう場なんですよという空気を作るという意図をもって発表を一番にしたという意味はありますね。

 

・私的P観

―最後になりますが、P観やアイマス観を聞いていきたいと思います。

P観…

―P観というのは、Nestleさん、個人的にはすごい面白い方だなと思っていて。まず、アイドルマスターの世界に私たちはいるじゃないですか?

…はい。

アイマス世界はどのようなものだと捉えていますか?

なるほど?アイマス世界をですか?それはバーチャルワールドの中の話をしているのか、リアルワールドの話をしているのか…

―そうですね、私たちがPと名乗るじゃないですか。私は名乗るんですが、その自分でPと名乗っている人とアイマスの関係性というか…Pって何なの?と聞いた方が早かったですかね。

なるほど、Pは職業だと思っています。

―職業?

当たり前のことではあるのですが、今僕は社会人なのですけど、社会人の時のNestleって当然その社会人としての仮面を被っているんですね。真面目に働いてますよ。で、一度退社をしたらその仮面を一回外して、プライベートのNestleという仮面を被るわけです。で、その時にPという仮面を被るかもしれないし、日本酒が大好きな仮面を被るかもしれない。わからないですけど。という色んなものを、そえはあくまでも役職だったりとか仮面だったりとか、その時にまとう服なんですよPって。なので、アイドルマスターというものと関わるときに、その服と仮面を身につけて、アイドルと向き合う、ないしは同僚と向き合う。こういうものかなと思っています。

―ロールのようなもの

ロールですね、まさしく。シンデレラガールズのプロデューサーの仮面は抽象的なので、ゲーム内のテキストに左右されない。その世界に自分がロールを与えられて行動しているように感じられるわけです。なので、まとめるとシンデレラガールズというものはそもそも抽象度が高いゲームだから、解釈の余地がありますと、解釈の自由度が高いんですと、だからそのそれぞれの解釈というものは独立したものであって、それがある種一つ一つの星のようなもので喩えることができるんじゃないかという風に思っていて、もちろんその、例えば北条加蓮というアイドルに対して持ってるイメージだったりとか、印象だったりとかは色んな解釈というものが集まって構成された“星座”のようなもの、なんじゃないかなという風に思っていて、その“星座”が200、300、300人?くらいのものが含まれているアイドルマスターの世界って、もう宇宙のようなもので、でしかもその一個一個の星っていうものはプレイヤーの数だけ、プレイヤーがアイドルに出会えば出会うだけ増えていくものなので、どんどんどんどんその宇宙というものは広がり続けて、色んな星が生まれて、もちろんその星っていうものは一つの“星座”という一つのアイドル像の中にどんどん内包されていくものなんですけど、それがどんどんどんどん広がっていって大きな世界になっている。そういうのがアイドルマスターなのかなという風に思っています。

―個々のプロデューサーが思うアイドルを星とみなし、それを持ち寄ることでアイドルを星座として認識する...面白い考え方だと思います。もう一つ気になったのですけど、先程プレイヤーとPをあえて言い分けるというか、表現を変えていた部分が見受けられたのですが、これはどういう狙いがあった、あるいはプレイヤーという言葉がPという言葉を含まない空間があるというか、違いというものはありますかね

これは意識の問題だと思っていて、あくまでもゲームプレイヤーとして目の前のキャラクターと接する人が間違いなくいると思っていて、だからこそプレイヤーと呼んだ方がいいかなという考えが、さっきの表現です。その時にPの仮面をつけているのかいないのかというのは問わないんですよね、ゲームをプレイしている人がプレイヤーなので、その時にPの仮面をつけているならPだし、つけていないなら別の存在になるという風に思っていて、それを包含した総称がプレイヤーかな、というイメージですね。

―なるほど、その場合はロールというか状態のような表現なんでしょうか。

そうですね、そこちょっと同じ話をしているのに違う単語を使ってしまって恐縮なんですけれども。その場合は状態になりますね。まぁ、ロールはある意味状態じゃないですか。どういうロールに今ついているかって。

―確かに状態といえば状態ですね。先程“星”と“星座”という例えが出てきましたが、設定であったりセリフであったりを表現している公式さんというPがいるわけじゃないですか。これは公式が作り出すものは他のPが作る“星”と同じようなものでしょうか。それとも別種のものでしょうか?

えーっと、同種であり別種でも構わないというのが僕の考え方で、というのは公式さんが作っているアイドル像というものがあって、そこから一部分を切り出してイラストであったりとか、セリフであったりとか、歌であったりとか、というものに落とし込まれていく。それを我々が受け取って解釈してどんどんアイドル像のようなものを作り上げていくのだと思うのですけど。星座って、例えばオリオン座は見方によって違う、一番シンプルなオリオン座と、周りの星をいくつか選んできて、もうちょっと広い形のオリオン座があると思うんですけど、そういうイメージで公式が出しているものを再解釈して違うもの扱いにしても、それはその人の解釈だしよくて、同じようにとらえてもよくて。なので公式の人が出しているアイドル像、星のようなものは、我々が受け取る際に同じような形で受け取れるかもしれないし、全く違う形の“星座”として…全く違うはないと思うんですけど、ちょっとちがう形の“星座”として捉えられるということはあっていいし、そういうものだという風に僕は理解しています。

―なるほど、かなり難しい質問になるのですが、例えば、冬優子さんのとても有名なセリフで「あんたはふゆとここで死ぬのよ」ってあるじゃないですか。あれは言ってしまえば、公式さんが作り出す構想の範疇にある“星座”から逸脱しているじゃないですか。私はそれを知ってしまったので、ふゆを見るたびに一瞬思い出すわけです。このように“星座”の外の“星”をつないでしまった事で作られた新しいアイドル像は認められるべきだと思いますか?

はい。それは解釈の仕方だと思うので、認められていいと思います。あまりにも遠くにいる場合ですよね。「あんたはここでふゆと死ぬのよ」というのはかなり親和度が高かったので、それこそネットミームレベルになっているのかなと思うのですけど。例えば真乃が「あんたはここで私と死ぬのよ」って言いませんよね。これってなんでそういう共通認識が生まれるかというと、公式からある程度情報が得られている。で、そことかなり乖離しているとちゃんと感じるからなんですよね。で、一方で「あんたはここでふゆと死ぬのよ」ってかなり近いという風に多くの人が感じ取った。別に多くの人が感じ取ったからいいというわけではないんですけどね。ちなみに僕も結構「あんたはここでふゆと死ぬのよ」はものすごく好きなんです。うわ言うなって思いましたもん。冬優子なら言うなと思いました。それがあって、それはひとつ形としてあっていいと思うし、何だったら僕別に真乃が「あんたはここで私と死ぬのよ」と言うのもアリだと思うんですよ。ただ僕は受け入れられない(笑)それはそう思う人がいてもいいし、そういう解釈があってもいいのだけど、僕はその解釈は違うかなと自分の中に取り込むことはしない。

―もしかしてですけど、“星座”の意味でズレてるのかな…お尋ねしますが、Nestleさんにとって“星座”は「点と線で成り立つ像」ですか?それとも「点を含む領域」ですか?

そもそも星座を認識する時に、あれは3次元空間のものを天球という2次元平面に落とし込んで捉えるわけじゃないですか。そうなると、2次元の平面上では隣り合っている点も実際はものすごく遠いところにあったりするわけです。自分の言っている星と星座と宇宙って直接3次元空間でイメージを捉えてしまっています。もしここで言う「像」と「領域」が平面に落とし込まれているものだったら前者ですし、正確に3次元空間のまま捉えているものであれば後者になります。先程の例でいうと冬優子が「あんたは」を言うとより冬優子のイメージ空間の中心に近いところにその解釈があるのだろうし、真乃の場合は中心から大きく離れたところにある気がする。それが平面になると正確に表現できない可能性が高いんですよね。アイドルのイメージ像を星座とするなら、どこまでの解釈をそのアイドルとするのかという認識はそれぞれ異なっていて、ものすごく狭い人もいれば広い人もいる。その境界をどう定義するかがそれぞれのプロデューサーが解釈するそのアイドルの像の違いなんだと思います。

―好きなものは取り入れればいいし、他者に強制しないだったら、逆に自分の嫌いなものは見なきゃいいしみたいな、そういうスタンスを常に取られているような印象を受けますね。

そうしないと心がざわつくというのもあって。そういう風に思っておかないと、誰かの心をざわつかせるかもしれない、など考えてしまうとダイマってできないので。大前提としてこれは僕がそう思っているだけですが。というのは毎回自分の発表の一枚目のスライドないし二枚目のスライドに絶対入れるんですけど。そういうものです、そういうスタンスでいます。

―なるほど、ありがとうございます。

 

―(温泉卿)解釈は人それぞれ違うもので、違って良いと仰っていましたが、全く違う解釈が同じアイドルだとする同一性の担保はどこでなされているのでしょうか?例えば小松さんコスプレの北条さんを北条さんと認識する要因というのはどこにあると思いますか?

あくまでもそこに割り振られたラベルに依存していると思います。あるイラストレーターさんが「加蓮を描きました」と言われていることで認識できていたりとか、SSの中で加蓮のセリフだと明示されているからわかるとか。もちろん、衣装や髪型、目の色、小道具、口調、文脈の中に共通項目として公式から提示されているものがあれば別だと思います。北条加蓮ならポテト、とかね。逆に言うとそれが全く無い場合は、よほどその描き手の人と自分の中の認識が合っていないと共有できないと思います。小松さんコスプレの加蓮であっても、睫毛や目の色、肌の色の微妙な違いとかがちゃんとあれば分かると思いますが、つけまつけてカラコンいれて化粧されてライティング完璧にした写真1枚渡されただけなら正直わかんないと思います……情けない話ですが。

―いえいえ…主な要因はラベル、名づけで、その判断の精確さは細々とした知識によって上昇する、といった感じでしょうか。

そんな感じですかねえ。精進します。

―これに関して人間の認識能力の限界だと思うので…ところで、ミッシングムーンから入ったことによる影響みたいなものってあるとお考えですか?

めっちゃあると思っています。僕にとってのアイドルマスターというゲームはやっぱりミッシングムーン、というかSP…アケマスと箱マスかな、のイメージがすごく強くて、ポチポチゲーがアイドルを育成している感覚になれないんですね、僕は。なので逆にシャニマスにすごいのめり込んでいることはそういう理由なのかなという風に思っています。もちろんキャラクターは好きだし、コミュも大好きだし、何だったら音ゲー大好きなので、それはそれでゲームとして楽しんでいます。ですが、育成をするゲームというジャンルで捉えられてないし、僕はアイドルマスターを育成ゲームだと思っている節があるので、そこのファーストインプレッションがSPだったというところが、かなり強烈に影響を与えているんじゃないかと。

―最後になりますが、自分の中でアイマスを育成ゲームだと考えているからこそ出てきた発想ってありますか?

それこそたぶん僕が育てている北条加蓮とあなたが育てている北条加蓮は違うよねとか、そういう発想は自分が育てている子に対しての思い入れが強いからだと思っています。で、あんまりいい言い方じゃないですけど、ポチポチゲーの方だと育成って基本的にレッスンをして親愛度をあげて特訓するというのが基本的な流れだと思うんですけど、育成ゲームの方って、自分でレッスンを選んで、レッスンに失敗したりとかもして、結構選択する自由度が高いじゃないですか、いろんなルートがありえるというところが、やっぱり大きく異なってくる部分だなぁと思っています。そこに僕は育成ゲームというところを強く感じて違うものだと認識をするようになった理由があると思っています。アイドルを見て違うものだと認識するようになった最初の原因。だからこそ今モバマスの方に対してもそういう感覚を抱いているのはSPの名残があるからなのかなと。やっぱり僕にとってアイドルマスターは「アイドルを育ててトップアイドルにする」ゲームなのかなと思っていて、だからこそシンデレラの総選挙というイベントが好きなんですよね。昨年ありがたいことに北条加蓮はシンデレラの称号をいただきましたが、これからもまだまだ総選挙の選抜メンバーに選ばれるように頑張りたいと思っています。今年はどうなるのかまだわかりませんが、もしできそうならまたICMASのような機会は作りたいと思っているので、機会があれば是非ご参加いただければと思います。

 

・取材後記

ダイマ方程式やペルソナなどといった興味深い発表の裏にある、いわば思想の尻尾のようなものを捉えることに成功したのではないでしょうか。ここでアイマス思想地図に四つ目のピンが刺せたわけですが、果たしてこの地図は何次元なんでしょうね?

次回のインタビューはかめぴさんに伺っていきます。公開は【01/16】予定です!

 

(文責:温泉卿)

 

 

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